orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

チームの仲がいいという、無形資産

 

仕事=チームでやるもの、というのはほとんどがそのケースだと思うが、このチームというのがくせもの、である。人間が寄せ集まっているが、特に望んで形成したわけじゃない。学校の仲良しグループとは話が違う。生い立ちも違えばキャリアも違い、そして年齢・性別に、性格特性まである。仕事達成を共通目的とし、会社が適性に基づいて役割を決定しチームを編成する。

優れたマネージャーが人間を見抜いてアサインし、かつ候補者もたくさんいれば、リスクも減るのだがどこもそうは行かないだろう。食べるために仕事優先でチーム形成され、ギスギスしながらも調整し合って何とか結果を出すのが大人である。

仕事効率だ生産性だと言われるが、この「チームの仲」というパラメーターは全く見えないながら、大きな影響を及ぼす。これを何の因果か、管理職が責任を持たなければいけないというから、管理職って本当に、特殊で高等なスキルだと思う。だって、公式がないのだから。集まる人もその時々によって変わるので、毎回同じ手段が有効とも限らない。そもそもこんな人をチームに入れんじゃねぇ、と思ってもその権限が自身になかったりする。

学校の先生(特に担任)と似ていると思うのだけど、チームの仲を形成するのに、個々と仲良くなるってのは違うと思う。クラスに40人いたら全員仲良くするなんて不可能でしょう。ただ、全体を把握する目と情報網は築かないといけない。そしてその情報をもとに予兆を見逃さずすぐ動く必要がある。人間関係は、手遅れ、が最も厳しい。もし、特定の誰かと仲が良かったりすると、「XXにやさしい」「XXをえこひいきしている」なんてやっかみも出るので、大変な立場だと思う。

過去、私はプレイングマネージャー、つまり技術的な仕事を廻しながら、人の世話をするみたいな立場だったけれど、これを今年、完全にやめた。プレイングマネージャー時代は10年ぐらいあったけど、一部を除いて身を引き、ビジネス拡大に注力することとした。ビジネスを拡大すると人が必要になりそしてチームを形成するが、そのチームの定義はするものの、「仲の良さ」を維持したりメンテナンスすることはもうやっていない。

もちろん、私の方から仲の良さを破壊することは絶対にしないが、その良さを育んだり、問題の対応をしたり、は私は見ていない。この分野が上手な人がいることを強く認識した。それより私の強みである、ビジネス拡大や技術的対応の分野を優先した。

この「ビジネス拡大や技術的対応」と「チームの仲の良さ」はたまにぶつかり合う。すごく大変な状況のときに、仲の良さ、働きやすさなどに構っておられず、厳しい指示をしなければいけないシーンはある。一方で、人々が健康であるかを常に考え、ビジネスにブレーキをかけてでも人を優先することも、時には大切である。

これらを「ひとり」でやるのは、ダメなんじゃないか、と気が付いた。

 

「仕事は絶対に完結しろよ、失敗するな、方法論は用意するから、よろしくな」

「無理するな、大変な用だったら何でも相談しなよ、必要なら方法を考えるよ」

 

この2つを同じ人が同時に言うと、支離滅裂になることがあるからである。

結局はプレイングマネージャーが部下の無理を背負わないといけなくなり、首が回らなくなる事例多発、である。首が回ったとしてもチームメンバーの心までは手が回らずに、「チームの仲」が最悪な方向に向かってしまう。

間違いなく、チームの仲がいいのは、仕事に大きく関係する。だからこそ、その構築をどう進めていくかについては管理職業務の特殊性・独立性を認め、現場の技術論とは切り離すべき、であると思う。

 

SESの案件ガチャで恵まれていた就職氷河期の私

 

20何年前のことを語り始めると老いの始まりかとは思うが、若手には学ぶべきことも多いんじゃないかと思って書いておこう。

私の就職活動は超適当で、大学院に行こうと思っていたが、入試のための準備もできて全然いなかったし学問の将来性も暗かったし、その上経済的にも困窮していたので仕方ない、働くかと気がついたときには大学4年の冬。しかも就職氷河期の始まりという状況において、就職情報誌をコンビニで買って読んでみたら、一番大きい欄の会社がSES会社で、そんな時期にも関わらず面接を申し込んだら拾ってくれたというシナリオである。

もし、まともに就職活動をしていたら、私の人生どこに行っていたんだろうと思うが、昔のことを言ってもしようがない。とにかくSESを中心とするITの会社に正社員として入社することができた。

そもそも「未経験」のステータスであったので、初年度は内勤したり技術研修に行った後に、1年目の冬で他社常駐の案件をアサインされそこからは長い間、「他社」に通った。つまり、入社した会社より常駐した現場の会社のことを良く知る働き方となった。

よく入った会社で学んだことが大事、と言われるが私の場合は自分の会社に存在する時間がやたら短く、「案件」と呼ばれる常駐先の環境のほうでよっぽど学んだ。

いくつかの会社に行ったが、その会社達はSESを呼ぶだけあって環境としては結構大変な部類だったが、私としてはとても勉強になった。私の今の仕事は、それらの案件たちで学んだことの集合体だ。この仕事はあの案件、あの仕事はあの案件、全部、現場で見てきたことのモノマネである。

考えてみたら、その「案件ガチャ」が非常に恵まれていたんだろうなという感想だ。人によっては、学びのない環境に放り込まれることもあるのだろうし、そしたら私も程なく辞めていたんじゃないかな。その新卒で入った会社には十年以上在籍したし、案件の引きっぷりが良くてきっと、転職しようなんて思わなかった。

30代半ばかな、このブログでも何度か書いたけど、転職のタイミングが訪れた。どうも若さが武器となって良い案件にアサインされがちだったのが、どうもそれが通用しなくなってきた。こんなルールなら、もとから責任のあるポジションを転職によって狙いに行ったほうがいいと思った。それもまた正解だった。転職後は、SESで学んだことを十分活かすことができている。現時点から後ろを見てみると、ここでやることを学ぶために、案件ガチャで各地を転々としてきたようにすら思える。

あまり軽々なことは言えないが、環境から学ぶべきことがないのなら、環境は変えたほうがいい。SES案件ガチャは、自動的に環境がころころ変わるので、あまりエネルギーを使わないで若い頃に、正面玄関から入社するには大変な一流企業たちに、裏口から入り、中途半端な立場で、チラ見することができた良い機会となった。

ネットではSESは、案件ガチャ、という言葉を悪口のように語られるが、ガチャを引ける楽しさはあったとは伝えておきたい。ポイントとしては、どこかで抜けて、元請などより責任のあるところに転職するタイミングを考えること。もしくは完全にSESの事業に足を突っ込んで、ガチャを引く立場じゃなく、沢山の人を送り込む(人にガチャを引かせる)ようなマネジメントの立場を得ること、かな。私は前者だったけど、後者タイプの人もいらっしゃる。人生いろいろ、である。

 

私はこれで転勤人生を避けられた

 

転勤拒否→解雇

転勤を拒否したら、解雇される事例が話題となっている。

 

biz-journal.jp

NEC子会社であるNECソリューションイノベータの元社員が、転勤に応じなかったことで懲戒解雇されたのは不当であるとして慰謝料の支払いや解雇無効の確認を求めて裁判を起こした件が、あらためて注目を浴びている。

 

転勤しない方法がある

私が就職する時に、感覚的に転勤は嫌だな、と思ったものだ。住むところぐらい自分で選択したいし、わざわざ東京に出て来たのに、仕事でどこかに弾き飛ばされるのは勘弁してほしい、と感覚的に思っていた。

転勤したくないから、という感覚を言葉にしなかったが、会社を選ぶときに「東京支社しかなければ転勤ないじゃん」と思ったのは事実だ。だから、結果的に中小企業を選択したわけだけど、これが功を奏したんじゃないかな、と思う。

中小企業は、大企業より給与平均は低いのは事実だ。大企業のもうけは中小企業とはケタが違うし、大きな責任を社会から背負っている分頂ける給与が大きいのは当然だと思う。一方でその責任の大きさから、日本各所に支社があって然るべきだし、転勤の可能性はそこで生まれる。

また、大企業の東京本社にしても、支社あってこそのビジネスなので、出世ルートに必ず転勤が置いてある。地方での様子を把握しそこで結果を残せたら本社に返り咲く。これは、ビジネス系ドラマを見ると必ず見る風景であった。そういう知識もあった。

 

中小企業から大企業を見ていて

中小企業にいたところで、大企業の方とお付き合いすることはよくある。お客様が大企業の社員で、ずっと、観察はしてきた。大企業と中小企業の文化は大きく違うというのは良く知っていたし、適性によって選ぶべきだとは思った。

大企業はたくさんの人で仕事ができるような仕組みをとても作り込んでいる。属人化しないようにしていて、仕組みが最も偉い。だからこそ細かいルールの変更は結構難しくて、現場が工夫をしながら仕事を進めている。「めんどくさい、めんどくさい」という言葉をよく大企業の方は発されている。でも、たくさんの人と仕事を進めるには仕方ないんだろうな、と思う。また、仕組みを熟知している人は大企業の中でも活躍できるんだろう。

一方で、中小企業は小回りが速い。仕組みはあるのだが、守るのも自分しかいないので、もし仕組みがめんどうなら仕組み自体をすぐ変えてしまう素早さがある。ところが、じゃあ仕組みなんていらなくない?ということで、仕組みを作らないで、特定の人がルールブックのようになっている場合がある。俗に言う属人化である。チームで仕事することに慣れていないので、組織化して拡大するのが苦手だ。それができていれば、人がどんどん増えて大企業に近づいていく。そうならないのは理由があろう。

私がこうやって、2つの差を考察できるのは、若い頃SESで大企業に常駐しつつ、自社は中小企業、なんて面白い立場にいたからだろうな、と思う。その結果、転職の際には一社目より小さい企業を選んだ。中小企業の方が結局、水が合っていたし、やっぱり転勤がない、というのは魅力だった。

 

結構、節穴になっていないかな

地方支社がないと、転勤がないよというのはあんまり過ごしていても誰も言わないように思うが、実際そうだった。

大企業の方が中小企業よりも、すごくいいことのほうが多いのだけど、めずらしく中小企業のほうがいいと思うことの一つだ。

どっちがいいかというより、人生の選択である。もし転勤嫌というのなら、中小企業はお勧めである(例外もあるかもしれないが)。

 

付箋紙でタスク管理することの短所について

 

たまに見る風景

若手が、やる気をみせようとしたのか、付箋をデスクに貼りまくろうとしていて、「やめなさい」と止めたことがある。

基本、タスクの内容には機微な情報が含まれることもあり、セキュリティー的に良くない。非関係者が機微な情報を目にしてしまうことはよろしくないし、ゴミ箱経由で何か漏れることもある。そこまで心配しなくても・・と言う人は甘いと思う。何を書いてるかまでは統制できないからね。

また、いやいやそんな機微な情報もないですよ、と言われたとしても、付箋でのタスク管理には致命的な問題がある。きっと、彼は沢山のタスクを抱えたところで非効率になる。だから止めた。

付箋が一杯貼ってあるとたくさん仕事を抱えているように見えるけど、単に情報を整理するのが苦手なだけじゃないか。

アナログ付箋じゃなくても、デジタル付箋、例えばパソコンのデスクトップに貼るタイプのものも私はよろしくないと思う。明らかな短所がある。

 

付箋紙でタスク管理することの短所

端的に言えば優先順位が付けられないことだ。たくさん付箋があってどれを最初にやるか、について付箋自身には何の機能もない。重要なタスクはここに貼る。中ぐらいはこっち、低いものは・・と振り分けることもできるが、めんどうだ。タスクの優先順位なんて日々刻刻と変わるのに、数が増えたら多分に管理できないし、漏れが発生する。また、重複して付箋に書いてしまう可能性もある。

付箋に期限を書くのも難しい。期限はどんどん更新されるが、わざわざ二重線を引っ張って上に書くのだろうか。カオスになる。よろしくない。

タスク数が少ないのならばまだいいが、それならわざわざ付箋に書く必要ある?。タスク数が多くておぼえきれないから記録するのだろうに、多くなったら破綻するのがわかりきっているのはやめた方がいい。

また、付箋が発する情報は物理的な場所に限られるので、リモートワークになった途端、何貼ってあったけ?、になるし、他人にも伝えるのが難しい。

良くないことだらけである。

 

ソフトウェアに頼ろう

今では、たくさんの課題管理ソフトやタスク管理ソフトが市販されている。

・緊急度・優先度
・期限
・誰が担当しているか
・タスクの種類
・タスクの状況(処理前、処理中、完了)

せめて、タスクに対するこれらのプロパティーを管理できるものを選ぼう。他人のタスクも含めて共有できると、チームワークができる。

デジタルによって、今の状態を勝手に管理して表現してくれるのにあまりにも私は慣れてしまっているから、付箋を貼りだす人が信じられない。

最も効率の悪い管理方法が、付箋管理だと私は思う。

こんなにITが人々を便利にしてくれているのに、私はそれを否定します、と付箋で自分の机の周りを飾りながら主張しているようなものである。

ぜひ、自分の情報をソフトウェアを使って、チームや関係者に的確に伝える習慣を付けて欲しい。そうしないと仕事なんて、すぐに暗礁に乗り上げる。

 

完成させるということにこだわれ

 

すごくよくできる部下がいるんだけど、惜しい。

 

完成させるという一点について甘いところがある。9割できているんだけど残り1割がいつまで経っても完了しない。そのうちに小さいタスクがもりもり集まっている。きっと残り1割だからと油断して、細かい仕事を請けてしまったのだろう。でも、これは間違っている。100点になるまで完成させないタイプの仕事は、炎上の元である。一旦終わらせることを大事にする必要がある。他の仕事を一度断ってでも、まずは終わらせてほしい。

終わらせない仕事は悪い意味で熟成する。大きな変更が必要になったときに必要な時間が限られる。そうなると期限までに時間無制限で(残業や休日出勤なども覚悟して)終わらせないといけないが、そういうものの大部分が残り1割だったりする。

100点で終わらせない、80点でもいい、一旦終わらせてしまえば、そこから修正が起きてもまた新しい仕事となる。一旦は終わりきっているのでそこで満足するという手も使える。しかし、10%未完了のものは、どうやっても完了とはならないのである。

・完全に終わった80点の成果物

・9割終わって、後1割仕上げれば100点かもしれない成果物

この差は大きすぎる。こだわりが強いのか、ヒアリングすると、まだここが終わっていない、ここが必要、なんて分析ができている。

わかっているならなぜ仕上げないのか。

期限感について、のんびり屋さんなのかもしれない。確かに期限はもう少し後になるので、ぎりぎりにやればいいか、と。

いや、その期限、確認も含めての期限だろう。それで100点だとお思いか。どんな仕事でも、バッファの時間を取っておかないとえらい目に遭うことをわかっていないのだと分析する。

 

スピード重視で、とりあえず完成させ、後から品質を高めていくやり方において、初期段階で品質が高い状況が最も望ましい。「仕事ができる」とはその状態だと思う。一発で回答を出し、そこから修正がない、それができれば苦労しない。

しかし、相手によっては、解答が見えにくい場合がある。その際は、あらあらでもいいのでまずは完成させて様子を見ること。違うよ、という言葉が返って来たらこっちのものだ。「どう違うんですか?」。そう、完成させるのはここからなのだ。自分が完成させるというイメージは、大きな思い違いをしているリスクをはらんでいる。それなのに期限ぎりぎりまで使って完成させて何になる。ちゃぶ台返しをされるのであれば、時間があるときのほうがいい。

だから、すごく雑で大変な指示を出してくる人には、すごく雑な完成物を見せるようにする。不満が出てからが仕事だ。あ、そういうことですね、修正します(あんたの指示が悪いんだよ)、だ。

逆に、とても正確で丁寧な指示に対しては、もちろん完成物も品質は高くなるし、手戻りが無いので期限も守れる。

どちらにしろ、完成させるの早い方がよく、そして品質は相手に合わせる。そりゃ、指示が正確で細かいのに、それを守らないで雑に出したらアウト。従って、何でもかんでも完璧に時間を使って仕上げるというのは、良くない場合がある。

部下も、その辺りをわかってくれるといいな、とは思うが、まあ時間はかかるだろう。誠実に伝えていくしかないし、見本を示していくつもりだ。

 

仕事をどんどん部下に引き継いだ後に起こること

 

組織を拡大するためには、トップの仕事はどんどん部下に引き継いで行くことが必要不可欠である。そうしないと受けた仕事が増えれば増えるほどトップが仕事の処理に埋もれて、品質は落ちるし、部下に仕事は降りないしでいいことがないからだ。単に難しいまま仕事を下したら部下も、技術的な問題で受けきれないかもしれない。部下でも理解できる形に監督、指導しながら、問題のない量を引き継ぐ。引継ぎするだけの部下の数を用意することと、引き継いだ後も丸投げにせず報告を聴きコントロールができるようにすること。そうやってビジネスは成長し、組織が大きくなっていく。

仕事の中心の人が引継ぎに積極的に取り組み、どんどん部下(味方)を得ながら、自分じゃなくても仕事がこなせる人を確保していく。自分が引き継いでいたのがそのうち、教育係や教育体制みたいなものを作り、自分が直接指導しなくても人材が成長する仕掛けを作っていく。

その後、トップは、部下たちを組織化し独立して会社に助けをほとんど求めなくても、自力で事業をまわせるようにする。きちんとマネージャーなりリーダーなりをアサインして、細かい問題や現実の運用ならトップに意見のお伺いをする必要も無い。そうなると、トップがするべきは、いくつか作った部下たちのチームの日々の成績とにらめっこするのが仕事になる。もし成長が落ち込むような事由があるなら、会社の主要人物と相談し、対応を決めていく。

そうやって組織は、会社は大きくなっていくのだが、ここで考えるべきことは、自分自身はどんどん部下に仕事を引き継いでいった結果、現場にはほぼノータッチでよくなる、ということだ。まぁ、トップが社内をうろうろして社員レベルにちょっかいを出しているような企業はほぼ大きくならない。「社員いわく、トップは毎日何やってるんやろ」、ぐらいの組織の方が、トップに依存することなく組織が成長しやすい。トップはむしろ、失敗の予想を常にしていて、穴がないかじっと見つめることの方が仕事となる。みんなうまくやれよ、とは思うがいつも落ち着かないのは、自分が手掛けてやる仕事ではないからである。

本当に部下連中が成長しきったとすると、トップはやることが無くなる。教えることももうない。部下たちで全部まわせる。そのときトップは単なる承認マシーンになってしまうのだろうか。現場の仕事はトップがほとんど絡まないのであれば、決済事項に承認を押すぐらいしかなくなる。

部下たちを信頼しています、と、ノールック承認ばかり続けていると、そのうち仕事をしていないことがどんどん部下や会社にバレていく。あのポジション、もういらないんじゃないですか、と自分が知らないところで策略が練られているのかもしれない。

働かないオジサン、と言う言葉がたまにささやかれるが、案外この引継ぎ、のタイミングで醸成される役割なのかも・・と背筋が凍ることがある。部下を育て、組織を大きくするはいいが、し終えたことでお役御免。結局は自分の退場する道を自分で作って頂け、となったらいけない。単に引き継ぐだけでは、自分の仕事が空洞化してしまう。過去の功績なんて持って3年なので、何もしないポジションというのは自分を危険にさらす。

部下の引継ぎに並行しながら、自分しかできない役割を自分で育てる必要がある。部下に追いつかれないぐらいの高度な判断を常に示し部下に信頼される必要がある。

一方で、引継ぎを遅らせて自分に属人化する仕事を守り、自分が処分されないようにするのは私は「ダサい」と思っている。自分のめんどうくらい、自分が見切れないとね。上に立ったとしても油断しないことだ。会社を出るその時まで。

 

学歴と会社生活

 

社会人を25年やっていても、自分で学歴のことを他人に話す機会って全くないですね。転職のときも触れられなかったし、口にするようなことでもない、という位置付けです。むしろタブー過ぎて、人に聴いていけないことを通り過ぎて自分から言ってもいけないことみたいになっている気がします。個人情報的な扱いみたいな。

現場で仕事が落ちていて、誰がやるか担当するか、というときに誰かが学歴あるからアサインする、のようなことは一切あり得ません。別に中卒でも高卒でも大卒でも、大学院卒でも海外組でもできる人がやりゃあいいのです。学歴が仕事してくれるわけじゃないですから。それは資格試験でも同じことが言えましょう。

じゃあ、学歴なんてお飾りで、社会に出て役に立っていないのかと言うと全然そんなことはありません。間違いなく本人のいない場所で、誰がどこの学校を出ているやら何やら話には出ています。特に人事的な、誰を昇進させるか、みたいなときに話に出てきます。あの難しい大学を出ているから、この難しい任務もこなせるだろう、みたいな話です。誰も初めは未経験ですから、習熟できるかという議論をするときに学歴の話がひょっこり出てくることは何度も経験しました。

どこの学部だの学科だのというのはあんまり誰も関心がなくてとにかく大学の難易度を気にすることが多かったと思います。自分が知らないところで勝手に学歴で能力を吟味されているというのが肝で、「学歴なんて気にしない」なんて振る舞って実際に身の回りで全然登場しないにもかかわらず、実際は強い影響があるので学歴はあるに越したことはない、とは思います。

だからと言って、学歴に勝るものもあります。経験・信頼と言ったより現場に紐づいた結果です。学歴なんて幼少期の数年のことですから、社会人の実績、特に5年10年と積み上げていくと学歴よりも価値を持ちます。仕事の場でこんな結果を出すことができた、また誰かに信頼を与えることができた、というのは学歴よりもちろん優先するので、だんだんと学歴効果は薄まってくると思います。

むしろ、学歴があるのに、経験や信頼を勝ち取れなかったまま年を重ねてしまった人は、「どうして?」とマイナス評価されやすくなります。若い頃にアドバンテージが他人よりもあったのにどうしてやらなかった、と。

なお、転職する時には必ずチェックされる「学歴」ですが、これも、30代40代と年を重ねていくと、経験の方を重視されるようになってきます。そう、やっぱり「この人は仕事ができるか?」というとき、潜在能力を見るか実際の結果を見るかというところで、学歴 / 経験の比重が変わってくるということです。会社は学歴のブランドが欲しいんじゃなくて、仕事ができる人が欲しいだけですからね。

というように、社会は学歴を重要な潜在能力チェックとして使っている節があります。したがって若いうちは学歴があった方が圧倒的有利。しかし、そのアドバンテージを無駄にした人は、後々逆に困る。

私の学歴に関する感想はそういう感じです。

 

出社手当は通勤のインセンティブではなく、在宅勤務へのペナルティである

 

出社手当を出す会社が出てきていると話題になっていました。出社するのは当たり前だった時代からすると、時代が変わったなとは思います。

 

www.nikkei.com

新型コロナウイルス対策によってリモートワークが定着した社員に、一定日数の出社を促そうと「出社手当」を導入する企業が出始めた。複数のスタートアップが出社日数に応じて支給する制度を取り入れている。在宅勤務と出社のそれぞれの利点を生かす手法として注目されそうだ。

 

やはりそれなら、ということで社員はほとんど通勤するようになったんじゃないですかね。

Xのタイムラインなどでは、出社するのにお金がもらえるなんて甘えんな、みたいな意見が大半でした。出社するのは当たり前じゃないか、業績を高めるためには個人として当たり前の努力でそこに手当を出すのはけしからん、という意見をたくさん見ました。

それらの意見は正論ではありますが、この話、逆に考えるとすんなり納得できるんじゃないか、と思いました。それは、出社100%で、手当てを満額もらった額が基本の給料であるという前提です。そうすると出社しないと給料が減る、つまり懲罰的な意味が込められるんじゃないかと思いました。出社しないならしないでいいけど、その分お給料払わないからね、とはできないですよね。何かしないことで給料を減らすことは大変しにくいお国柄です。手当を付けるのは自由にできますからね。

今の政府は、何につけ手当だ給付だ補助金だとやりたがるのはご存知だと思いますが、これお金を付けてるんじゃなくて、そうしない人からお金を取っているのと同じ意味だと考えると、別の意味が浮かび上がってきます。マイナンバーで2万円配ったんじゃなくて、マイナンバーを作らない人から2万円奪うのと同じ、そういうことです。

いつの間にかこの国は、そういうふうにお金を使うことをおぼえてしまったんだと思います。お金をあげることによって、奪うことができるんだ、と。

 

出社手当の形を採ると、何だか余計に給料を増やしているみたいですけど、全くの逆なんですね。全員一律で増額するんじゃない。わざわざ手当の形をとることで、一見通勤にインセンティブが付いているように見えますが、在宅勤務にペナルティーが付いているのと同じです。手当というのは逆方向にペナルティーを与えることと同義と考えるようにしましょう。

こういう、朝三暮四的な政策が当たり前のようになって、色んな事に従わないとお金が取られていくようになっているという状況のもと、ピュアな心で出勤するとお金もらえるのかいいなあなんて思っている人がまだまだ多いということでしょうか。

 

全て効率化したとしても残る仕事

 

随分、お仕事も工夫に工夫を重ね、効率のかたまりみたいな状態になったと思うですが、結局のところ仕事は残っています。残った仕事の特徴を考えてみたいと思います。

 

お約束している仕事内容の少し外側にある仕事

例えば、私はITインフラを担当しているのですが、明らかにアプリケーション開発側で問題を切り分けるべきな問題が起こります。お客様は開発だのインフラだのってのはよくわからないので、何か問題があるんじゃないかとご相談されます。

効率化している領域は、自分たちの仕事領域に限るわけで、一歩領域を出るとさすがに手付かずであることが多いです。全く関係ないと問い合わせは来ないのですが、ITインフラもアプリケーションも一体で動いてますので、きちんとITインフラの問題じゃないという反証ができないと逃れられません。

ITインフラの領域ならスラスラ問題に対応するのですが、そうではない領域だと人間が試行錯誤するしかなくなります。その結果、たいていITインフラじゃないという証明はできるのですが、アプリケーション側のトラブルシューティングをやってあげることになるので、まぁ効率の悪いこと。

アプリケーション側で切り分けしてくれた結果を頂ければ効率よく進むんですけどね。アプリケーション開発側も、インフラの問題ではないと切り分けないと調べないぞ、まであるので、いつも折れてアプリケーションの方を調べてます。

 

違和感を頼りにする仕事

監視システムを使って監視は自動化できているので、そこから出たアラートを見て行けば問題そのものや、問題の予兆にたどり着くことができます。

ただ、それが問題だ、問題ならこう対応すべきだ、解決できた、まで考える思考についてはケースバイケースで解法が異なるので中々自動化はできません。

問題の大小も、これを放置したらどうなる、から始まり予測のようなことをして、そこから優先度や緊急度を設定し、対応していきます。

単体のアラートから察する場合もあれば、過去の履歴から思い出すこともあり、そして複数のアラートから推移することもあります。

それはもう「違和感」と言う言葉以外には説明できない、センス的なものを、効率化・自動化するのは時間がかかります。毎回の人間の判断を積み上げて、法則をチームが悟っていくしかない。ただその悟りですらバイアスとなって、思い込みとなって、正確な判断をできなくすることもあり、なんとも人間系の話です。

 

わかってくれない相手の対応をする仕事

ChatGPTと話をすると良く思うのですが、空気の読めない回答をしてきますよね。相手の気持ちを考えない発言ができるのは、AIだから、という前置きがあるからですね。もしChatGPTと同じ言い回しで顧客対応をしたら、きっと怒りだします。ChatGPTは話す相手がわかってくれない場合に、すぐ拗ねますからね。わかってくれないなら私は話しません、じゃあ、わかってくれたことを前提に次の質問どうぞ、みたいなことを平気で言うヤツです。

人の気持ちがわからない時点で、あの生成AIってやつは落第なんじゃないかと常々思っているのですが、それでもロジカルに知識を整理するような分野ではもはや破竹の勢いと言ったところで、今後、人間の居場所っていうのは、お気持ち的な要素の入った仕事なんじゃないか、と思う次第です。

 

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あの、AIってヤツは、きっと人間じゃないです。人間ではできないことをやってますので、人間の性質を模倣した別の存在です。

ということは人間自身にはどうやってもAIにはできないことを求められるようになってきますから、その差分とは何ぞや、と言う哲学をこれから考えて行かなければいけないです。それをAIに聴いてもアイツは何でもできるってウソを答えてきますから当てにできません。

人の気持ちを考えた対応。何かぞわぞわする。そういう感覚には名前はついてないですが、これからの時代を勝ち抜くヒントはその辺りにありそうです、と私の感覚が言っています。

 

サラリーマンにおける実力主義、の実力ってどういう意味やねん

 

サラリーマンの実力主義、って言いますけど実力って数値化できないものですよね。例えばここにある石を対岸に持っていく、みたいな定量化できるようなものであればまだいいです。石の重さやら個数やらで数値化できる。でも、サラリーマンの仕事ってまあいろんな種類があり、いろんなことをしているので、これはもう数値には基本できないと考えていいものだと思うんですよね。

それを、実力主義だって言って、実力という人が考えた抽象的な概念を作り出して、そこに言葉遊びで色々と定義を書き連ねて理論武装しているわけです。このお仕事をしている人はお幾ら、これは簡単だからお幾ら。それって何が根拠なんでしょうね。一番アテになるのは他社の給与ですが、民間において給与体系なんて把握できている人誰もいませんよ。何社も経験した人も、人事畑にでも居なければ本当の会社の給与体系なんてわかるはずもない。

平均給与が会社によって違うのはまだわかるんです。会社の売上・利益、バランスシートなど、数値化できていますから、その社会的責任に沿った社員の給与になって然るべきです。法外に社員がもらっていたら会社が続かないし、会社の利益に対して社員に公平に分配されていないと、やってられるかと辞めていく社員が増えます。

問題は、会社の中でどう分配するか。

とりあえず社会的に納得感のある金額にすることは大事で、それは何というか、実力、という言葉とは全く別のものですね。会社と社員の間でウィンウィンになる最適ラインを作り上げていく感じです。

会社「社会的にも立派な給与水準で雇用しているから、安心してわが社に居てね」

社員「働いた成果に対して、社会的に見て相当以上に頂いていると納得しています」

この納得感が人によって上下があるので、いつもネットニュースは隣の給与のことで、いつも誰かがもごもご言っています。

そんなに不満なら転職すればいい、それはそうですが、仕事を通じて身に付けた業務知識や、人間関係をある程度捨てて外に行かなければいけない、そしてエネルギーも半端なく必要とすれば、なかなか転職もリスクがある。だから、会社様よ頼むから、社会的に納得できる水準の給料をくれよ、ということになります。

ここまで書くとわかると思いますが、隣の会社の給与体系がわからないのに、納得感は社会的に見て、という言葉が出てきます。これは矛盾しています。だから人は隣の財布事情を推し量ろうとするのです。この業種は〇〇万円、みたいな記事が途切れないのは、ニーズがあるからです。自分は不満を持つべきなのかどうかすら、実はわかりようがないのです。

で、実は国が賃金の状況を取りまとめて統計にしています。この統計を見るのが最も正確なのです。

 

www.mhlw.go.jp

 

この結果見るとびっくりしますよ。ざっくり言って「ネットの記事に出ているほど他社ももらってないんだなぁ」と言うことがわかると思います。

なぜネットに、給料が高い話が出回るかと言うと、現職に不満を抱かせ転職動機を生み出すと得をする母集団があるということは間違いないです。転職が起きれば起きるほどお金が入ってくる会社もある。ではその会社は世間にどうやったら転職機会を増やし市場拡大できるか考えます。それはやはり、自社への不満を増大させるしかないですよね。

 

こうやって論理的に考えていくと、実力主義で決まる給与なんてウソっぱちだし、転職したくなるネット世論もまたウソが多い。本当のことはあるにはあるけど誰も語らないので見えなくなっています。あるにはあります。でも、基本的にもらっている人は自分がもらっているなんて絶対言いません。メリットが全くないですから。実力が測りにくい世の中で、もらっている事実は、妬みの温床にしかなりません。

結局のところ、

・たくさん儲かっている会社に所属する

・その会社の中で、(本当にしろ本当でないにしろ)実力があると、経営陣に思わせられる

この2つの条件が伴って、実力があるということになります。

一度、実力があると思われてそれなりの立場に着いたら、後は現職の成績が低下しないように慎重を期すことと、自分が実力があるアピールを忘れないこと、でしょうか。

サラリーマンになってわかりましたが、この世の中は結構雑に物事が決められていますので、その雑さを丁寧に読み砕き、攻略していくことが実力の秘訣です。わからない人にはわからない、と言い切れるぐらい、何ともわけのわからない理屈で人の実力って決められてしまっていると思います。