orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

新規事業、うまくいってからが本番

 

新しい事業を社内で企画して、だいたいはうまくいかないわけです。みんなうまくいくなら、みんな企画やりますわね。的中率が結構低い中で一発当てるだけでも素晴らしいです。まずは1円を誰かから頂くことが始まりですね。で、それが難しいんで、昔の新興企業はタダ同然でサービスリリースして、たくさんの人に持ち出しで使ってもらうわけです。こりゃ便利だ、そしてたくさんの人が生活習慣になったところで、運営向上サービス強化を盾に有料化するわけですね。ここで、ほとんどのサービスは嫌われますが、もともとそんなので嫌いになるヤツはお客様でもなんでもないのでさようならです。基本は、サービスが実際にどれだけ利用されているかを基準にします。いっぱい使われてれば、多少有料にしたところで払ってくれます。そのサービスがないと困る人がたくさんいれば勝ちです。初めのうちは。

そうやって、ベンチャー含めて初期の客集めから勝ち残って、そして固定客を得て、ビジネスとして安定軌道に乗っていきます。そこまでがよくある新規事業のお話です。

でも、もっと大事なのは、来年も再来年も時間は続くということです。その中でその当てた事業が継続して成長するかって、これはもう予言者でもないとわからないです。継続していくうちに、新規事業はもう新規でも何でもなくなり事業になっていきますからね。

だから、ベンチャー=新規事業企画と起ち上げ、という発想というのはここ数年のことしか考えていないということになります。10年20年と企業が続く前提であれば、実は新規事業という言葉自体が誤解を与える表現となります。初心者マークみたいなものですね。期間限定で取れるのですから、ベンチャー企業って名乗るのも期間限定にしてほしいくらいです。

この思考で、一発当てた事業者。その事業の市場自体が急成長しているなら、そのまま乗っかって行けば規模は大きくなるのは当然です。今ならAIでしょうか。AIやってりゃ今しばらくは成長するでしょう。しかし、5年後10年後にAIが今と同じ成長力かはわかりません。

ですから、一発当てたぐらいで調子に乗っていたら会社っていうのはどんどん鮮度を失い、最悪、「古いことをやっている会社」になります。

そんな会社、たくさんありますよね。

どの会社もベンチャー企業と呼ばれていた頃があり、そして何個かの小さい失敗を繰り返しながら新規事業を掘り出して、そこで大きく伸びた歴史があるはずです。

さて、伸びて伸びて伸びきった後、会社はどうするんでしょうね。その伸びきった事業を更に大きくするジャッジを行うのか。それとも別の新規事業を狙って今まで儲けたお金を投資するのか。

私自身も新規事業に携わりもうすぐ10年近いですが、同時に立ち上がった別の組織の新規事業の様子を見ていると、もう市場自体が右肩下がりだったり、競合があふれて価格競争に陥り、薄利多売で結果、全然成長できなくなってきたやら、色々苦しい様子が見て取れます。10年単位でやってたらそういうことも十分あり得ます。そのとき、どうするんでしょうね。もう見込みがないから別のことやる、なのか、市場はどうあれ既存顧客のためにがんばる、なのか。

ま、市場が成長しないって言ったって、例えば「おまんじゅう作り」とか「こけし作り」とか長い間保っている産業って、無くならないですからね。そういう意味だと新規事業、新規、と言うのって気分の問題で、どう継続性を確保し5年10年を過ごして行けるかという課題の方が、実は大きいと思います。

流行りに乗る仕事は、確実に3年で潰れる。短期的にお金を集めて、はい終了。そうしたい人は、元々その腹積もりなのかもしれませんが、それに乗せられて集まる人には私はなりたくないなと思う次第です。

 

全部自分一人でできるかどうか

 

私の仕事のスタイルは、とにかく全部一人でできるようになること。

それぞれ全部できたら、優先順位をつける。優先順の低い仕事を誰かにわかりやすく渡す。これは他人にやってもらおう。手を離そう、じゃないと自分しかできない仕事がまわらなくなる。そんな気持ちで仕事と接してきた。

とにかく自分では把握できないことを失くしていく。把握さえすれば後は誰がやるかだけの問題だ。仕事の難易度と緊急性に合わせて、調整しながら割り振っていく。

もし担当したメンバーにおいて仕事があふれてしまったら、仕事が自分に戻ってくる。戻ってくるには理由があるのだろう。想定外のことが発生したり、メンバーの学習レベルがそれほど高くなくて、難し過ぎて頓挫したり。それはメンバーが悪いとか自分が悪いとかではなく、そういうものである。仕事は生き物であるので絶えず微調整しながら、チーム全体で助け合ってこなしていけばいい。

社会のほとんどの場所がこういうルールになっていることは事実である。どこに行ったって、全部把握しているヤツが勝つ。ワイルドカード的に動くので、普段暇していても怒られない。急に高度な問題が起こったり、緊急でこなさないといけないとなったら登場である。大企業でも1プロジェクトでも、こういう立ち回りができる人が組織にいると強い。誰もが手が回らない状況で、狙いすまして何か緊急案件がポン、と降って来た時に颯爽と現れて、サラサラっと解決していくわけである。何せ全てを把握しているからどんな方向から問題が現れても対処できる。

 

年齢を経るに従って、責任も重くなり、おいそれとは職域が変わらなくなった。そんなに簡単に重責をハシゴするようでは、それは重責でもないだろう。インフラエンジニアやクラウドの世界に大きな変化が起こるようならともかく、現状がゆるりと続くようなら、私はきっと引退するまでこの現場を見ていくと思う。どうせやることが変わらないなら、他所に移っても何もいいことはあるまい。

ただし、まだそこまでの達観をできた人はなかなかいないだろう。かなりの人が、たくさんの役割の中の一部を担って仕事をしていると思う。

私はこの選択がしっくりこなくて、自分の担当だろうが担当じゃなかろうが、自分が暇なら「やりますよ」と言って人の仕事を肩代わりすることが多かった。忙しい人を見つけては自分に仕事を移管させ、把握した後に、そもそも非効率なやり方を消しこみ、人から仕事を奪っていった。効率的にしてしまえば人に手放しても構わない。もう把握できたんだから。

仕事は同僚との競争であるため、競争に勝つためには人より仕事をする、ではなくて「把握する」なんだと思う。全部自分でやる必要もないし、会社はチームとして生産性が高ければなんでもいいわけだ。だからこそ、把握に努める。そして非効率な仕事をどんどん引き受けて自分流の効率的な方法に組み換えし、還流する。

ガツガツ仕事せえ、というより、たくさんの仕事を把握せえ、の方がアドバイスとして適格か。把握している人が上に行く。社会を攻略したいなら、自分の周辺の仕事をどん欲に把握に努めよう。

 

転職の非機能要件

 

転職する時の機能ってなんだろう。

・企業の財務健全度

・給与条件

・仕事内容

・将来の希望と、会社のキャリアパス

・勤務地

・福利厚生

・本人の経歴(学歴や経験)

これぐらいだろうか。少なくとも上記の5つを押さえておけば、大きく困ることはないだろう。案外流されて募集してみたら受かって転職したという人も多いだろうが。

最近は履歴書や職務経歴書をびっしり書く人もいれば、ほとんど真っ白の経歴書でも応募してくる人もいて、じゃあ前者しか受からないかといえばそうでもないので、転職の世界も結構カオスである。

さて、これまでの話を「機能要件」とすれば、意識に上がりにくい「非機能要件」もある。お仕事とは一見関係なさそうだけど、実際仕事するとものすごく関係してくる要件。これについて、表現するために、各社リクルートサイトを工夫するのだ。社長のインタービューとか先輩社員の声とか、職場環境のレポートとか。いわゆる社風、である。社風は数値化しにくいので、デザインを使って「感じがいい」を演出しようとする。

転職の世界も随分DXが進んで、個人も企業もパラメータはデジタル化し、情報交換もやりやすくなった。そしてマッチングもデジタル化されおかげでスカウトメールが大量に乱れ飛び、でも実際会ってみると「すんません、違いました」って企業の方から言ってくる始末である。スカウトしたのはそっちなのになぜに書類で落とす・・みたいな。

つまるところ、採用が成就するためには、単に機能要件のマッチングだけでは足りないのである。

「この人と、一緒の職場で働き、信頼関係を築き、幾多の未来に起こる問題や課題を一緒に乗り越えたいかどうか。乗り越えることができるか。」

という話が、全く漏れているのだ。だから、必ず採用前には企業側は会おうとする。特に、解雇規制が厳しい日本においては、一度採用してしまったら取り返しがつかない。

さて、非機能要件を言語化してみよう。

・経営層と気が合うか

・現場の雰囲気とマッチするキャラクターか

・細かい約束を守れる人か/会社か

・見た目・清潔感

・話し方

・攻撃性

・転職回数

・何をストレスと思うか

こうやって見ると、内面性や、人格教育のような側面が強い。何が正しいというわけでもない。会社によって、馴染めない人もいればフィットする人もいて、組み合わせが様々ではあるが、なかなかデジタル上で読み解けない。しかも人は、いい顔をしようとするではないか。いい顔をした顔を企業が気に入って採用したら、裏にとんでもない人格が隠れていた、みたいなことがあるから、転職の世界は魑魅魍魎(ちみもうりょう)なのである。

システム構築の際も、実際、機能要件を散々打ち合わせしても、非機能要件を軽視するとえらい目に合うということは業界の常識ではあるが、転職も同様である。

まぁ、よくよく考えると結婚とも似ていて、年収や経歴などでドライに判断して結婚したものの、実際に生活を初めたらとんでもない性格だったりギャンブル好きとか酒好きとか、浮気しまくるとか。それでも離婚するのは中々エネルギーがいる、だからこそ軽々には判断できない。また、若いうちは花が咲かず、多少の経験が付いてから飛躍するというタイプも居て、中長期目線も必要になる。似ているね。

カジュアル面談もそのためのはずだったのに、いつの間にか企業側が一次面接の扱いと同じにしだして、求職者側も失望しつつある。

もうデジタル化も行くところまで行った感じなので、後はこの非機能要件の言語化のようなものがデジタル上でできやすくなったら、もっと転職も便利になるだろうなと思った次第。

 

「高いスキルを保有する」に誤解されがちなこと

 

高いスキルを持つということについて、よく誤解されていることについて書きます。

誰も知らないようなとても高度なことを知っていたり使うことができたりすることを、高いスキル、と定義しがちです。こんな難しいことができるから、すごいでしょう、という具体です。

しかし現場で仕事をしていると、そんな高い技術は使う場面がとても稀です。もし誰もできないような難しいことであれば、むしろ誰でもできるように翻訳すべく、手順を単純化することが仕事になるくらいです。難しいことを難しいままにしていたら、少ない人しかできなくなりビジネスが拡大しません。高度なことを基礎レベルの人にできるようにするまで求められることは多いです。

仕事の基本は、基礎であると思います。

それでも高度な技術を使わなければいけない場面は確実にあるので否定をすることはありません。だとしても、現場においてはそんなマニアックな知識を磨くより、もっと先におぼえて欲しい基礎があります。いつものほとんどの汎用な仕事を、より高いレベルで速く/正確に/繰り返しやってほしいです。

仕事のほとんどで最も必要なことは、基礎の大事なことを、繰り返し確実に再現できることだと思っています。100回やっても1000回やっても間違えないこと。また、やる前にもしくはやっている最中に何か問題があるのなら気が付くことができることも大事です。失敗しない、ミスしない、と言うことの重要性は過去の経験から身に染みています。

確実に誰でもできること、例えば、右の箱に入っているビー玉を、左の箱に入れる作業。これは誰でもできます、1回なら。しかし100回、1000回ならどうでしょう。続けてやっていると手が震えてきて、気を抜くと手が滑ってしまうかもしれません。不思議ですよね。999回うまくいっていることが、1000回目に誤ることがある。つまり、普通にできることを、普通に確実に毎回できるって、結構難しいのです。1回だけ見るととても簡単なので軽視しがちですが、プロは1000回やって1000回成功させます。これこそ顧客が求めていることでもあったりします(まあ、稀な高度な技術も期待されることもあり、場合に寄りますが)。

日々の仕事を乗り切るのに、高い技術が必要となることもありますが、仕事の9割は基本的な仕事ばかりです。ただ、それらを基本=簡単=誰でもできる、と定義することによって失敗が発生します。油断です。誰でもできる、注意不要と思った瞬間に気の緩みが発生し、そして何となく、意味も無く、稀に失敗するのです。

整理しましょう。

①誰もできないような高度な技術を知っていてできること

②誰でもできること(基礎)を繰り返し何度も成功させられること

この後者の方についてあまり重要性を語られることが少ないのですが、私はまず②を習得していることを重要視します。1回たりとも失敗しない、って、前者に負けず劣らず高度ですから。

たくさんの人が前者、誰も知らないようなマニアックな技術を習得することに熱中する傾向があると感じています。それにとても違和感を持つことがあります。そんなことより、もっと基礎を誤らないことを身に着けて欲しい、と願います。

 

リモートでも忙しい

 

コロナ禍の時ってフルリモートに近かったのだけど、あの頃はなんだか、リモート=暇、ってイメージで働いてた。サボってたとは言わないけど、あんまり仕事が無かったもんで、日々をまわしていれば正解って時代だった。そりゃそうだ、あのころの仕事はコロナ禍直前に決まっていたことを何とかリモートでやり過ごそうとしていただけで、動きが完全に止まってた。現状の変化があまりない中、過去の受注案件をこなすだけだったから、やるべきことさえやっていれば過ぎた感じだった。顧客側も動くに動けなかったから、物理的な変化がとみに少ない、歴史上にも珍しい時代だったと思う。

あの頃にこそ、変な思い込みが生まれてしまったのかも。リモート=暇=サボる、っていう発想。多分ね、あの頃はオフィスに行っても暇だったと思う。無音、って感じだった。オフィスで東京オリンピックを見たことがあったんだけど、観客もゼロでね。オフィスも寒々しかった。そんな状況だから暇だったわけであり、リモートが暇なわけじゃない。

今もたまにリモートワークやってるけど、あの頃よりリモートで働くことがみんな上手になっているってのもあるけど生産性が高くて、その上で仕事が忙しくなってる。2年くらい皆手を止めたから、取り戻すための仕事がたくさん発生してる。忙しいのは良い事だけど今年1年本当に手を動かし続けた。よくオフィスに出るようになって打ち合わせもたくさんやって、直接の指導もやるようになり、普段の生活に戻ったな、という中でのリモート。リモートで仕事してても忙しいんだ。これはあの頃のリモートとは種類が違う。Web会議と問い合わせと、そして本番作業と、時間を縫うように仕事してるけどリモート。結局のところ会社にいても家にいても、ちゃんと仕事するんだね。仕事があれば。

リモートはいいよね。週5オフィスに行くってなると結構体が金曜日にはくたくたになる。通勤って結構体力使う。使うから体力づくりになるのは確かに。ただ、疲労も蓄積してくるから、週中にリモートがあるととてもバランスがいい。どうせ忙しいから、仕事はする前提で、体力の温存にもなるし、通勤による体力づくりもできるし、良い。

じゃあ、全面的にのフルリモートにするかというと、これはもはやあり得ない、と思っている。やっぱり、オフィスで直接お会いしたメンバーと仕事をすると情緒的なつながりができる。オフィスで分かり合えているからこそ、リモートで誤解が生まれない。リモートだとついつい事務的になり、要が終わったらすぐ通信を切ってしまうので、オフィスにいるときのような気軽なトークまで行けないから。だからこそフルリモートで仕事の人間関係を維持し続ける人ってすごいな、と思う。オフィスに出て信頼関係を構築しながら、その貯金でリモートワークをする、ってイメージで今、働いているから。

ということで、リモートだから人はサボる、ってのはちともう「古い」ようで、忙しけりゃ忙しい。どこにいたってサボる人はサボる。オフィスにいるとサボってない振りをしてるだけだ、と言う結論になった。

で、忙しくなると、ああオフィスに居たらみんな目の前にいるから効率良さそうだな、と思うこともあるので、これはもうハイブリッドに両方使い分けながら、できるだけ楽しく働く、ってことだなと思ってる。