orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

SNS疲れなど、全てを書ききった後に残る何か

 

毎日、個人の感想を一日二回書いていると、おそらく、もう前に書いた、ということばかりになっていくように思う。いつも何か頭で考えている性質なので、色々と言っていないことはあったはずだが流石に限界はありそうなものだ。

個人ブログだと比較的長文なのでそんな思いもよぎりやすく、過去ブログが大はやり下後に、ミニブログと称したツイッターが世界を席巻したことを思い出す。短文なら毎日書けるでしょ、と。「いまどうしてる?」ってテキストボックスに書いてあった気がしたけど、思っていることじゃなくて今の状態を書けば永遠に書けるよね、という仕掛けが秀逸だった。ブランド名がXに変わった後も、いまどうしてる?は健在である。

とは言え、Xにしたってもうつぶやくことはぜんぶつぶやいてしまったような気がしている。人の気を引くような刺激的なことを言うとたくさんのいいねが今でも付くし、拡散もされるがそういうのももう、言いたいことは全部言ったので、更に同じことを言うのは恥ずかしい。皆が関心を持つようなニュースにコメントをつけるのだって、世界で多くの人が争うようにやっていて、その横で同じことをするのは、勝ち目がない気がする。それって私の意見でもないかもしれず、目立つために何かするというのは、例え一度成功したとて、疲れるだけである。何のために?。ネットでの自己肯定感向上のためだけだとしたら、何とも刹那的な行動としか表現できない。やってみたらわかる。後に何にも残らない。

それでも、日々生きていたら色々なことを目にして色々と考える。考えたことを言語化するときに、それが今まで考えたプロセスと同一かもしれないが、何か引っかかりがあるとしたら、きっと状況が変わったのかもしれない。もしくは前に考えたときに結論までたどり着けず不可解なままとしていたことが、進展したのかもしれない。結局のところ、日々生きていて自分の中に起こる感情を細かく観察し、その動向について言語化していくことが、まさにブログをアップデートする理由なんだと思う。

SNS疲れとは、思いや主張を全て書ききった後に、何も書くことがなく疲れてしまう現象のように思う。何度も疲れつつも更新してきた後思うことに、それでも何かあるだろう、生きているんだから、と楽観的に考えている。ただし、一日なーんにも考えず過ごしたら途端に詰む。経験を得ることは全てブログにつながるという考えのもと、自分の気持ち、思考を観察し、そして一日二回言語化する。これを習慣にしてはや7年。やってなかった頃に比べて私は何ができるようになったのか。ということすら考える間もなく一日二回書いている。どう変化したかなんて、誰かが勝手に評価すればいい。こうやって生きていくことを決めたから、ただただ進むだけである。

もはや、全部書ききったとも現時点では思うので、ここから書いていくことは今日の私。今日の私と来年の私が同じことを言っているかというと、頭の硬いアラフィフが今日もまた同じこと言ってるよと飽きられるのか、それとも、また何か違うこと言い出してると呆れられるのか。何しろ良からぬことも思うのだけどその当たりは、コンテンツとして見ていただける人のために書き続けてみたいと思う。まあ、書くこと自体が目的になっていれば、反応なんて二の次、で良いからね。個人ブログにしろSNSにしろ、そのような心持ちで相対していけばいいのだと思う。