orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

王道の裏を行け

 

あなたがどうして、今この記事にたどり着いたのかわからないけれど。

こういった記事を見た。

 

note.com

 

自分を語る記事は読まれないそうである。

はて?、このブログは私のことばかりである。私が思って、そして言葉にしたことばかりである。一般的にはそうなのか。

社会が当たり前だ、みんなそう思っている、と言うことに対して私は常々違和感を持ち続けていた。みんながそう、というならみんながおかしいのではないか。自分一人だけそう感じないのであれば、自分がおかしいと定義してもおかしくない。でももしかしたら、もしかしたら誰かも違和感を持っていて、それでも我慢して同調しているだけかもしれない。

だからこのブログを続けているし、日々生きていれば違和感の一つや二つは必ず感じるのでこうやってまた記事を書けている。

社会のみんなが私と同じ意見であれば、誰かが思いを書いてくれるだろう。しかし、かなりの少数派なのかほとんど見かけないので、言葉にすることにした。そしたら不思議なことに、共感が生まれ、そして今あなたがこれを読んでいる。もし書いていることが本当の本当に共感ゼロなんだとしたら、多分ここには誰もたどり着いていない。

世の中そういうことが多いんじゃないか。多数派と思いきや、お金持ちだったり既得権益だったり、声が大きい人の声がホール中に響いているだけということはないか。言論の自由といいながら、誰も言語化していないんじゃないか。

誰もが同じ方向を向いて同じ場所を目指しているとしたら、そこをあえて無視して自分の頭で考える。自分が正しいと思う方向を指し示し向かったら、もしかして本当の真実に出会えるのではないか。あまりにも私の中に違和感が生まれ続けることを利用してこのブログがあり続けている。

 

冒頭のように「自分を語る記事は読まれない」が大衆の支持を受けているのを見て、じゃあ自分語りはしないでおこう、と思う人も多数いると思う(だからこそ支持を受けるのだろう)。

一方で、私はこうやって、自分の意見を書いていく。完全無視しているというよりは、自分の意見を書いて日々暮らしている私の真似をする競争相手がむしろ減って、またオンリーワンのブルーオーシャンである。

世の中、ビッグデータやらアナリティクス、マーケティングやらで、過去のデータを元に行動が決まっていく傾向にある。これらが王道だとすると、この完全に真裏のエリアが確実に生まれる。なぜなら分析こそ、先読みできるからだ。分析が正しい結果を生み出すかどうかはわからないが、分析がどんな結果を出すかは考えればわかる。じゃあその裏をやれば、皆がそこには集まらないので容易く成功するという仕組みである。

どれだけの人がこの仕組みに気が付いているかわからないが、どう考えても社会の脆弱性のようなものだ。こっちがいいぞーとインフルエンサーが言えば、頭空っぽで大衆が流れるので、その逆側に行けばいいだけ。ただ、どこでもいいというわけではなく、考察が重要だ。本当に正しいことへの洞察が無ければ、大穴狙いでいつも外しているギャンブラーにしかならない。本命の点数は少ないけど、大穴は1つじゃないからね。

 

さて、明日も自分を語ろうか。