全く持って他人に期待していない。
他人が自分に優しくしてくれるだろう、とか、信頼してくれるだろう、などと思ってくれると思っていない。
それは、私が他人に対して思っていることと全く同義だからだ。誰かに偏って優しくしようとも思わないし、信頼しているとも思わない。
人間、そんなにうまくできているとは思わない。本質は自分のことだけを考え、自分が一番得になるように動く性質を持つ動物だ。
だからと言って、絶望はしていない。
誰かの役に立つこと、というのは唯一、他人の自分に対する見方を変える武器である。
対価はどうあれ役に立った事実は変えようがなく、それによって他人は自分に対する見方を改めざるを得ない。利用価値があれば、人はつながろうとするからだ。
だから、私は他人に期待はしないが、私が他人の役に立つことを証明することによって、なんとかつながれると思っている。
毎日少しづつ、誰かの役に立つこと。それを積み上げていく。
逆に、役に立たないことは慎む。どうせ絡まなければ迷惑をかけることはないのだから、大げさに近づかなければいい。
安全な距離感を誰とも保って、自分が動く遠心力で人を傷つけないようにすること。
そうやって人間関係を作っていくことで、一人でいながらも誰かと一緒にいても大丈夫になる。
人と人とが分かり合う難しさを知っている。わかりあえたと思うのは錯覚である。その場の雰囲気を永遠のものと考えてはいけない。
一緒に雑談しただけ。
一緒に軽い仕事をしただけ。
一緒に打ち合わせをしただけ。
そんなことぐらいで、人は人を完全なる他人よりは、親しい方面に扱ってくれる。
だからこそ、日々の人との交流をなめてかかったらいけない。丁寧に、人と接するようにしている。
このように、私は、人を信用していないことを前提として生き、より慎重に関係を保ち、そして疎遠にもならないように、とバランス感覚を大事に生きている。
そんな気持ちを誰かに言うことはないのだけど、このブログってやつは、この気持ちをここに置いておいて、そして誰かが身に来て共感してくれるという不思議なメディアである。
自分は、何も語ることはないよ、と思っても案外ここまで大胆なことを人は思っていたりするので、興味があれば書いて見ればいいと思う。
自分の心の中、なかなか言語化できていないものだ。
言語化できたとしても誰かに見せることがないものだ。
誰かに主張したら押し付けになってしまうが、ここに置いておくだけなら読む人が自由に受け取ってくれるだろう。
ああ、そんなドライな考え方、生き方があるんだ、と思う人もいるかもしれないが、逆に、ああ、そんなウェットな考え方、生き方があるんだ、と私は逆感動するかもしれない。
相いれない。でもそれでもいいと思う。
この世の中、みんな同じ考え方、感じ方、生き方だったら逆に怖いよ。
自分しかない考え方で結構。同じ考え方の人の一人や二人、こんなに広い世界なんだからどこかにいるだろう。もしそんな人と出会えたら、そうだな、期待を全くしないけど、大切にするかな。