orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

問題が無いと感じる状態とは、問題が無いのではなく見えていないだけである

 

問題が無いと感じる状態

最近、問題が無いな~、と安心しきっていたのだが、どうもそういうわけではないらしい。問題があることを知ってしまった。それも、一朝一夕には解決しない問題。私は未来を予想するのが好きだが、予想した未来が悲観的である。このまま放っておくと良くないことが起こる。だからこそ行動しなければいけないが、行動したところで簡単に解決できるわけがない、そこまで見通せる。

昨日までの私は問題がないと思っていたわけで、だからこそ心も軽くいられたわけで、知らなければよかったかというとそうかもしれない。地球のどこかでは戦争が今日も継続しているのに、報道されず知らない、というだけで、ほぼないことになるのだから、人間の知覚、理解というのはかなり主観的なんだなというのがわかる。SNSでは入ってくる情報すらオン/オフできるので、「知りたかったことだけ知る」という人生が可能であり、だからこそ今人々の快適度は上がっているのかもしれないな、と思った。

知りたくないニュースが入ってきたら見ないようにするというのは、まあ、知るということが素晴らしい事ばかりじゃないということの証左なのかもね。

 

問題を知ってしまった

けれど、仕事の話となったらこれは、見て見ぬふりはできない。知った時点で何もしないことは、何もしないという行動となってしまう。悲観的な未来を受け入れることになってしまうので、これは回避しなければいけない。じゃあ昨日まで生きていた世界は、問題が無かったのだから、私としては急に問題が現れたように思うが、実際はそこにあった、のである。問題が無いと感じる状態は、問題が無いことでは決してないということがわかる。問題なんてあるのである。気づかないことも時には良いことかもしれない。目に見えないところで勝手に解決されることもあるから。でも見えないふりばかりしていたら、こっちに向かって問題が飛んでくることだってありえる。見えないことはないことと同じ、なんてことはあり得ない。

知ってしまったら、自分が問題がないことに気づかないでのほほんと生きていたことに、向かい合わなければいけなくなる。

 

トラブルシュート

というのが今日の今の時点の私なのだが、何度もここから過去、失敗してきたことを思い出す。「拙速」が多い。問題がある状態に対して耐性が無い傾向にある。すぐ解決したくなっちゃう。しかし、この手の「見えなかった問題」というのは、きっと本人、私にとって得意な分野ではないことが多い。見て見ぬふりをしていたのは、自分の潜在意識なのかもしれない。だって、そこにあった問題なのだから。

みんなー、あそこに問題があるよー、と周りに騒いでみる手をやってよく失敗していた。「あなたは今問題に気づいたかもしれないけど、もうみんな知ってるよ」みたいなことが多かった。多分気づかないほうがいいと自分の中で制御が働いていたのかもしれないな。周回遅れなことも多いので、あえてこの問題に対して、自分でリードするのはやらないでおこうと思う。問題と向かい合い、知っていくことから始めよう今回は、と思う。

こうやって書いていても、「ああ知りたくなかったな」というのが本音であったりする。でも知ってしまうということは、もう逃げられないということなので、じゃあ次にやることは、逃げずに直視し、そして拙速に行動せず内容をよく知ること。そして軽々に何か判断して問題を無かったことにする行動を取らないこと、だな。