orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

居場所を社会でどう確保するか

 

学校って場所は思い返せば異常だったな。

 

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文部科学省は、空き教室を活用して学校内で不登校の児童生徒をサポートする「校内教育支援センター」を拡充するため、新たに設置する自治体に必要経費を補助することを決めた。クラスの中に入れない子どもにも学校内の居場所や学習環境を確保するのが狙い。来年度予算案の概算要求に5億円を計上する。関係者への取材で25日、分かった。

 

大人だったら、もしこの場所が合わないなと思ったら逃げられるでしょ。部署異動でも転職でもいい。結婚してどうしても合わなかったら離婚もするだろうし、大人だととにかく逃げられる。

あと、大人は、同じ場所に留まらなくてもいい。会社でもずっとオフィスで座っている仕事もあれば、営業のように飛び回っている職種もある。そして家に帰る。何か別にコミュニティーを持っている人であれば不定期にそこに行ったりできる。一人になりたいと思えばなる時間も用意できるし、ああ大人って素敵。

子どもは大変だ。転校したいと思っても気軽にできない。親にも迷惑をかけるし学校なんていくつもない。自分のために家族丸ごと引っ越してってわけにもいかないので、とにかく選択肢がない。自分で希望したわけでもない場所で、何年もそこにいろと言われたら、そりゃ、こんな場所嫌だと逃げ出したくなり、しかもどこにも行くエネルギーも失われ引きこもる人もいても不思議じゃない。

 

生きていく上で居場所って大事だと思うのだけど、子どものころに思い浮かべていた場所とは少し違っていた。居場所はどこか1つだと思い込んでいたけど、むしろ居場所は複数あり、かつ1つ1つがそんなにディープである必要はないんだと思って気が楽になった。むしろ1つ1つは浅くてもいい。浅い方が、無くなったときに被害が少ない。それより数を増やしておく。友達・親友なんて深さは不要。相手と知り合っていて、たまに話すぐらいの関係で十分。この数を増やしていく。増やしていった結果生まれた関係性の足し算で、居場所を持っている感覚を持てる。どこが居場所?と言われると、あえてどことは・・という答えだけど、でも居場所がないわけじゃないな、と。そして多少の増減はしながらも、どれもそんなに深い関係にないので、痛みも少ないし、別にその関係も、浅いゆえに関係性が無くなったかどうかを悩む必要もない。何年かしたら声をかけてみてもいいぐらいに、人は思いきらないと、人と切れない。

浅い関係と言えばネットの関係。SNSで、多少はやり取りしたことがあるようなアカウントも、関係性の一部に入れちゃえばいい。会って話して意気投合し、定期的に合わないと関係性が結べないと思うより、SNSでしかコミュニケーションしない関係も、関係性にカウントしちゃう。そうすると、意外と他人と何かを伝えあっているな、ということになり、微々たる関係性ではあるけれど、積み上げることは可能だ。

 

深い関係を毛嫌いする必要はないけど、浅い関係も大事にしようね、ということを言いたい。深い関係以外は、全部ゼロだと子どもの頃は思ってた。あの「友達が多い人はネアカ」今は「陽キャ」というのかな。あの頃の影響が強い。でもあの「友達」というのがハードルが高すぎた。もっともっと下げて、顔を知り合っていてあいさつするぐらいでもいいし、SNSで会話するとかでもいい。どんどん広げて、0.1を積み重ねていけば、1.0にもなるしある日もっと知り合えるかもしれないし、いくつか増減しても気にならないし、いいことだらけだと思う。

だから、あの学校という閉鎖的な社会、大嫌いなんだよね。