orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

居場所がないことの痛さ

 

高校時代

私が一番「馴染めない」を感じたのは高校生の3年間だったな。

寮生活だったんだけど、学校と寮が一体化した学校で、24時間同じ社会に包まれていた。そこでうまく溶け込めれば楽しい青春時代だったんだろうと思うけど、私の場合は真反対で、同級生たちとうまく過ごすことができなかったな。

できないといっても、誰かがいじめてくるとかそういうことではなく、グループ行動が苦手だったので一人でいようとして浮いてしまっていた。高校生なんてつるんで、どんな仲間がいるかで身分が変わるような年代だから、単独で動きたい私はそもそも学校自体の制度が苦手だった。

まだ通学だったら、学校に行っている間だけ息を止めていれば良かっただろうけど、寝ている間以外はずっと学校にいるようなもんだから。居場所がない時間を耐える3年間。

馴染めない、という痛さを存分に味わった3年間。

 

馴染めない、という痛さ

誰かから危害を受けるわけでもない。悪口を言われることもない。ただただ存在を認められないということを感じること。その時間が長くて長くて、とても心が締め付けられるようになることを、馴染めないと言う。

この状況になったときの自分自身への観察はかなり出来ている。周りの人に対して、知らず知らずのうちに敵意を持つようになる。自分の存在を認めてくれないような人たちは、価値がない、と言う思いを抱くことで自分の心を守ろうとする。

そんなねじ曲がった心で他人と接している中で、たまに良い人が話しかけてくれるようなことがあっても、心はすぐに切り替えられず、普通に話せない。コミュ障は生理的なものでなく、馴染めないことで他人に心が開けない状態だと思う。悪循環で、そんな場所にいると基本的に、楽しく他人と接することができない。周りもだんだんと「そういう人」という扱いをするようになり、空気として扱うようになる。

 

学校にしろ、会社にしろ

不登校になる原因、文科省が調査したら「いじめ」がごく少数という結果が出たらしい。

 

www.tokyo-np.co.jp

 文部科学省が10月4日に発表した調査で、不登校の理由が「いじめ」という小中学生の割合は、不登校全体の0.3%だった。この結果について有識者や支援団体は「実態と懸け離れている」と指摘。学校への調査だけでなく「当事者である児童生徒に直接聞くなど調査方法の見直しを」と訴える。

 

東京新聞は調査方法がおかしいと書いているが、私はなんとなくわかるのだ。「居場所がない」ことの痛さが見過ごされていることに。

あんなところに行っても居場所がない。心が痛い。自分を守るだけで精一杯。けどもう守る力もないから、行きたくない。勉強がきらいなんじゃない、あそこと、あそこに集まる人たちが嫌いなんだ。

この心の動きは、仕事場にもあり得ると思う。もし、同様な気持ちを持っていて、それでも生活のためにと歯を食いしばって会社に行っているならば、私は場所を変えることをお勧めする。というのも、まずは環境を変えないと、自分の気持ちが変わらないからだ。それぐらい「馴染めない」というのは怖い。私も、少しでもそんな思いを感じたら行動するようにしているが、あの高校時代の状況よりひどいことはなく、許容範囲内で収まっている。

馴染めない社会において、そこにいる人たちが悪いとは思わない。でもたまたま、そこにいる人たちと自分の相性がとても悪いことは起こりえる。そして、会社などで大した役割を与えられず、なぜ自分がそこで働くべきなのかを直感で理解できないような場合は、パフォーマンスを発揮できない。それなら、必ず、動いた方がいいということになる。環境を変えることで、馴染める場所に行きつくことができるかもしれないからだ。

馴染めない、ということの辛さがもっと大事にされるなら、もっと学校制度なんかは自由になればいいのに、とも思っている。社会に出れば転職できるけど、学校は簡単に転校できないからね・・。