orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

気付いたら、ものまねして食べていた件

 

今、システム運用の仕事をしている。

 

この現場の仕事の仕方は、過去私が見た現場のやりかたのものまねである。どこか一カ所のものまねではない。運用自体、問い合わせ対応方法、構築方法、それぞれ違う現場のいいところを「ぱくって」いる。ものまねだが、組み合わせることでオリジナルで、モダンだと思う。今の新しい技術も取り入れながら、過去の経験を適用している。

どうしてそんなに自信満々に方法を策定し実行できたかというと、過去、実物を見ているからというのは大きい。過去の現場が全部大成功というわけじゃないが、大企業ばかりだったのでそれなりに洗練されていた。大企業と同じことを少人数でカバーすればいいとこどりができる。大企業はむしろ人が多いことで混乱していた。少ない人数で意思疎通すれば、結果も合格になる可能性が高い。一流の会社のやっていることだもの。

SESで他社常駐で過ごした10年強、いろいろ物まねするネタは頂いたし、もっと言えば転職してからの今の会社の方法も随分学ばせて頂いた。学ぶと言っても本質はものまねだ。いいことはどんどん真似てみれば、自分のものになる。ただただトレースすればいいのではなく、自分のものにした後、自分のほかの経験とコラボレーションさせると、オリジナルに変貌する。それも1つ2つではなく。いくつも。

私の基本の幹は「基本情報処理試験」。文系未経験から業界に入るに当たって、基本情報処理試験の勉強をしておけ、と人事部に言われたので勉強したそれが、それから25年経った今も幹だ。今の試験内容とは随分更新されただろうが、その価値は色あせていないと思う。基本情報を取った人と話すとやはりそれなりに理解が速い。

幹のある人と、幹のない人の「ものまね」は質が違う。

幹が無い人は形態模写に過ぎず、根本的になぜそれがそうなのか、まではわからない。わかりたいけど言葉がない。理屈が無い。だから特定の分野のものまねができても、別の分野の仕事が来るとまるで歯が立たない。

幹があると、1つの物まねが完成すると、別のことはもっと短時間で取得することがある。パターンや類似を見つけそこは学習をスキップするからだ。そうやって色んな部分の物まねを実施しながら、おそらくその中に潜む同じパターンの学習を避けている気がする。Oracle DBを極めた人は、きっとMySQLやPostgreSQLを適当にしか学ばなくても使いこなせたりする。AWSマスターの人はAzureにすぐ行ける。などなど、幹がある人はどんどん筋肉が付いていく。

やっぱりここまで、一見全然関係ないような、いくつかの経験上にある技術パースをコラボレーションさせて一つのビジネスにできるということは、基本の幹がしっかり機能したということが言えると思う。

 

子どもの時「学校の勉強なんて社会に出てから何も使わないよ」みたいな意見、やっぱり間違っていた。あれは幹なんだ。幹が無ければいくら物まねしても、力はつかない。基本が大事。キラキラした先端技術を勉強したい人は大変多いけど、その先端技術を作っているのは、操っているのは基本をマスターした人たち。

仕事している時間を無駄にしたくなければ、基本に戻るべきだと思う。おそらく、どんな分野にいても同じことが言えるのだろうと思う。