orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

弱肉強食の世界観と、それが生み出した負債

 

最近、弱肉強食という言葉を誰も発しなくなったね。

私が学生だったころ・・平成の始まりくらいは、「人生は弱肉強食だ」という社会のコンセンサスがあった。受験戦争でもスポーツでも、勝利至上主義だった。勝ち組、負け組という言葉が流行したほど。そういえば、この勝ち組/負け組という言葉も流行しなくなった。

現在、勝ちとか負けとか言うこと自体がはばかられるのだが、その理由は一つ。人間、負けたとしても生きていかなければいけないからだ。

あの頃、大量に負け組を作った時代。負けたら人間社会から消え去るわけではない。長い人生が待っている。活躍できないまま滞留する世代を作ってしまった社会は、大いに悔いている。誰が悔いているのかは知らないが、二度とそんな世界観を作らないようにしようと誰かが思っている。

 

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すでに世の中はコロナ禍から脱却しているのだが、自粛(ステイホーム)を機にひきこもりになってしまった人が生まれてしまった。確かに、ひきこもりが増えるというのは予測はされていたが、146万人に激増していたというのは衝撃的ではある。

憂慮すべきは若年層のひきこもりと共に、40歳から64歳の中高年層のひきこもりも増えていることだ。彼らがいったんひきこもりになると、社会に復帰するのは若年層よりも難しい。

 

中高年層のひきこもりの出現は、社会設計の大失敗だと思っている。

今は「ひとりひとりの個性を伸ばして、皆が活躍できる社会」を掲げている。他人と比べてはいけない。自分を伸ばすという視点。私は大学を卒業してからその後子育てをして、教育の様変わりを目で見てきたのでわかる。随分と社会の観点は変わった。弱肉強食、勝った負けたの世界では、半分以上が負け組になり、モチベーションは下がり、国民一人一人の生産性は下がるということがはっきりしてしまった。ざっくり20代から下はほぼそういうルールで生きてきているので、40代以上の管理職でこの事実に気がついていない人は今すぐ改めてほしい。別の国か、と思うほど、教育の過程が様変わりしているのである。

弱肉強食時代の生き残りとして・・、私は、数年前まではまだ、勝ち負けの世界にいた。そもそも大学を卒業してから、他社常駐で十数年(30代半ばまで)。自分以外は他社の社員という場所に慣れてきたのもあって、傭兵根性が染み付いていた。現場は戦場だし、今、仲間がいたとしても、別の戦場では敵味方かもしれない、と。であれば、全部勝てばいい。勝って勝って、勝ち抜いてしまえば、大きい舞台にも上がれるだろう、と思っていた。

40代になって、社会の方が大きくかわった。今から8年前くらいか。新しい教育を施された子どもたちを社会に受け入れるにあたって、会社の方も変わらなければいけない、ということになったと思われる。

そして今、随分と社会に「非・弱肉強食観」の人が増え、そして私のような弱肉強食観の人物は年々少なくなっていくのだろう。私は、状況の変化をよくわかっているので、勝ち負けに落とし込むことなど決してしてはならぬ、と思っているが、単に学習してそうしているだけだ。本能的には、自分自身のことであれば、決して負けぬ。勝つんだ、みたいな発想が染み付いている。

よく20代30代前半の人たちが「今の40代で生き残っている人たちの迫力には勝てない」という台詞を聞くのだが、仕組みとしては上記の通りである。不幸にも、勝ち負けに晒され、命を守るために勝ち続けねばならぬということを本能レベルで身につけてしまった、のだ。

その後ろには、大量の負け組がおり、そして、就職氷河期救済などという、社会のガス抜きのような政策もやりました、みたいな状況が建前上は成立しており、問題がなくなったかのように見えて、冒頭の記事である。何も解決してはいない。

この状況は、負け組となった個人が問題ではない。負け組を生み出すような社会設計を作り実行した過去の呪いである。決して個人に責任を問うようなことはあってはならない。国レベルで政策をミスったことに対して、社会はコストを支払わなければいけないと思う。勝ったり負けたりすることが、人の人生を決めるような社会設計がうまくいかないのは明白であり、その結果なのであるから。