中国の「寝そべり族」って面白い現象ですね。
中国の家計が節約志向から抜け出せない。国内観光地の人出は新型コロナウイルス前の活況をほぼ取り戻したが、1人あたりの旅行消費は大幅なマイナスが続く。「寝そべり族」と呼ばれる、就職などの過剰な競争に嫌気が差し、将来への期待が強くない草食系の若者が増えていることも消費が勢いづかない一因だ。中国共産党政権も危機感を募らせている。
就職氷河期世代初期の私たちの世代は、団塊ジュニアとも呼ばれ、やたら同級生の人口が多く、何かと競争の割を食ってきました。受験戦争がやたら激しかったのですが、その後の就職ではバブル崩壊直後。かなりの人数が救われず、今になって就職氷河期支援なんて言葉でけが踊っている始末です。
その後、競争原理主義のような教育が戒められ、ゆとり教育が導入されたものの、いやいやちゃんと競争原理も必要だね、と揺り戻しが来たのも思い出です。
最近では、競争よりも人間らしい生活を取り戻そうと、働き方改革など規制も取り入れられました。あまりの過度な競争は負け組大量生産型社会とも言え、いやいや参加するだけ無駄でしょということで、日本にも「寝そべり族」のような層はかなり生まれたような感想です。
私たち世代が子育て世代だったころ・・2000年代ですかね。無印良品がかなり我々世代にフィットしていました。既成のブランド品は高い、もっと品質が良くてスマートな商品を選んでいこう・・という流れでした。今では無印良品すらブランド化してしまったような気はしますが、ニトリやユニクロ、GU、しまむらなど、今現在の消費動向はその当時の派生だと思います。
将来の期待が強くないことはもはや日本国内では常識化していて、それを前提に、コストは安いが品質がいい、ということをスマートと定義し、大きな消費をしないのは日本の今の若い世代の特徴になっていると考えます。
だから日本って、「寝そべり国」なのかもしれません。
この寝そべり族、もっと深掘りしてみます。
5月中旬くらいから、中国のネット上である言葉がさかんに飛び交い始め、社会現象となっている。それは「躺平」(タンピン)という中国語だ。「横たわる」「寝そべる」という意味だが、転じて、若者たちが「結婚しない、子どもも要らない、家や車も買わない、消費しない、最低限しか働かない、質素な生活を送ること」を選択する低意欲、低欲望のライフスタイルのことをいう。
この文章を読んだら・・・何か日本が通った道を中国が遅れてやってきたような気分になりますね。
だからこそ、日本の親たちは、たくさん子供を産んでも勝ち組になれないと思い、子供の人数を絞って集中投資する、一人っ子が大いに増えたんだと思います。実際、二人以上の子供に投資するのはかなり資金がないとまわらないと私は思います。
そして子供のほうが絶望していく。
これは競争主義の限界です。私の知っている競争主義も、いつも人を勝ちと負けに分けて振り分けていくシステム。そして勝ちは勝ち同士集められて、また勝ちと負けに分けていく。なんだよ勝ち組って、ほんの一握りじゃないか、と。
しかも私の観測範囲でもよくあるのですが、その勝ち組のコミュニティーに、「お金持ちルート」で入ってくる特別な身分の人たちがいるのです。
いわゆる「二世」的な人々ですが、もともと勝ち組の親がいて自分の子を競争主義の外で特別教育し、差し込んでくるのです。
多分中国でも同じことが起こっているはずですよ。
競争主義と言いながら、競争と関係なく資産や権限の力で競争を回避する属性の人たちは確実にいるのです。
「やってらんねーわ」というのは確かにわかるんです。世の中は公正なフリをしているだけで、全然そんなことないです。特定の誰かの思い通りに動いているのがこの世で、民主的に見えるのはうわべだけです。
それは間違いない。
だから、寝そべるのもわかるんですよね。
一方で、だからといってあきらめない人々がいても、またいいと思います。
人生ですからどんな選択だってアリだと思います。
この、矛盾だらけの世の中、あなたならどう生きます?ってことですね。