orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

なぜ緊急事態宣言が効果的でなくなったのかを考える

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この世の中って競争社会ですよね。競争に勝って何を得たいかは人によって微妙に違うかもしれません。でも基本ルールとしては、何か努力をして他の人よりいい意味で差別化できたら、より報酬が与えられるという基本ルールによって成り立っています。

学校だってランク付けされているし、会社だってそうです。どんなゾーンで戦うかはある程度幅があり、自分の適性に応じて微調整しながら人生を歩んでいくようになっています。

ただ、勝負のものさしが少ないと、人間社会はきれいに勝ち組と負け組に分かれてしまいます。全ての人が幸福を追求するから社会はよりよくなるのに、あなたは勝ち組、あなたは負け組、じゃ、ぎすぎすした社会が出来上がってしまいます。

だから最近は「多様性」が大事だと言われています。勝負の場はたくさんあって、それぞれが勝てる領域を見つけてできるだけ全員が勝てる社会。いろんな種類の勝ちがあればよくって、それを社会が許容していこうという態度が大事です。オリンピックの開会式での多様性のテーマは色濃かったですね。

さて、多様性は認めながらも競争社会、という立てつけでこの社会は今日も動いていますが、競争ですから、よりよい活動をしたほうが有利です。

で、テレワークや不要不急の外出避けるなどの「要請」を、政府や都知事が繰り返し言っていますが、これって、従った方は競争上は明らかに不利です。

テレワークするより、オフィスで働いた方が効率がいいのは、もう一年近くみっちりテレワークしてわかりました。

外出を避けていると、外からの刺激が減りネットやテレビしか情報を得る手段がなくなるので、視野が狭くなり、その結果行動の幅が小さくなることもわかりました。

我々は競争する上で、法律や慣習といった「ルール」に則って他人と戦っています。ルールを破って競争したら勝つ可能性は高まりますが、戦っている相手には不公平です。勝負が成り立ちません。法律に「不正競争防止法」がありますが、競争するためには、参加者がルールの中で立ち振る舞うことが大事です。

サッカーで、この審判はイエローカードもレッドカードも出さない、となったらどうなるでしょう。選手は勝つために危険なプレーを厭わなくなりますよね。ですから、競争においては審判が正しくルールを運用しなければならず、そのためのイエローカードであるしレッドカードです。

で、週末にも首都圏三県と大阪府に緊急事態宣言を出すことを検討、というニュースを見たのですが出した結果、何を政府はするのでしょうか。イエローカードやレッドカードを出す準備はあるのでしょうか。いや、結局は「要請」の対象を広げるだけなのでしょうか。きっとそうなんでしょう。

であれば、国民は、競争社会にいるわけですから、もはや守りませんよね。競争に勝つためにオフィスには出社するし、学校には行くし、遊びにも出かけます。そうしたとしてもルールが厳しく運用はされていませんから。結局テレビで「心がけてください」って言うだけです。

要請というのも、去年であれば、仕方ないかと国民は比較的守っていました。でも、もう一年以上我慢し続けてきて、その通りやってきたのに効果も限られ、そしてオリンピックも強行しやり続けている。その開会式には首相や都知事まで参加した。であれば、人生上の競争を勝ち抜くことをそろそろ優先するべき時だと国民が感じるのはごくごく自然だと思います。

もし本当に政府が行動制限が必要だと思うのなら、国民全員同じ条件にしなければいけない。じゃないと競争上不公平です。従順に守る人が不利です。全国民等しく制限すれば、競争はまだ成り立ちます。行動を制限しても不公平感は生じません。

特に、オリンピックって、最も純粋な競争の場なんです。勝者と敗者のコントラストがクッキリ出る場です。その世界レベルの結果を毎日見せられて、これは家にじっとしてると負け組になっちゃうぞ、と。いろんな人の心に元気を与えるのは良いのですが、そこで「要請を守って不要不急の外出は自粛」とは理屈上絶対にならないのです。

政府には、守らせるのなら均一に守らせ、守らせる気もないのなら要請もするな、という気分です。今は中途半端すぎです。特にオリンピック中ということもあり、緊急事態宣言の拡大が全く心に響きません。

まず要請があり、そしてそれを守らない人の方が有利になる競争がここにある。

残念ながら、人々はこのままでは、制限どころかどんどん行動の範囲を広げていくのは間違いないと思います。そのほうが競争上有利ですから。