orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

目の前のことを頑張り続けたらうまく行くのか

 

目の前のことを頑張り続けたら、徐々に実力付き、40代で報われる。

ストーリーとしては無くも無いが、私は推奨しない。

「終わりから考える」というのは有名な7つの習慣からのキーワードだが、目の前のことをがんばるだけではこの境地にたどり着くことができない。

目の前にあるこの仕事が本当に未来につながるのか。手ごたえがないと不安にもなるだろう。積み上げていった先は何か。もっと充実する未来がこの先にあるのか。

この不安から逃げるのは、私はやってはいけない、と思う。

「終わりから考える」の終わりは、人生の終わりではない。マイルストーンのことだ。一度終わりまで行ったらまた再度、終わりを定義しなおす。そうやって未来に進むのである。あまりにも遠くの終わりを定義してしまうと、目の前のこととの関連性が薄すぎて、不安にもなるというものだ。

そして、目の前のことを頑張る、に終始してしまうとこの、終わりに対する思考が止まってしまう。先のことは考えない、ただただ手を動かす、というのは、運に身を預けることにならないか。「主体的である」というのも7つの習慣の1つだが、残念ながら主体的ではないのである。終わりは自分で決められるのだから。

目の前のことをがんばっていれば、たまに、大きく終わりが変わるような選択肢が現れることがある。結婚、転職、子ども、などいろんなライフイベントが現れる。そのとき「頑張ります」ではないのだ。一生懸命自分の頭で考えなければいけない。自分が設定する終わりにはどの選択肢をどう選べば近づけるのか。主体的に考え、選ぶ。

それが当初はうまく行かないかもしれないが、それでも自分で選んだのだから、あとは頑張るのみである。それでもどんどん逸れていくのであれば、また考え直さなければいけないかもしれない。

そうやって、人生、右に行ったり左に行ったり、決してまっすぐではない。

道なき道を自分で決めて進んでいくものだ。目の前の道が正しい、なんて思いこみでしかない。正しい、正しくないではなく、自分が思う道なのかが大切だ。

どんな人生も、時間は有限だ。だからこそ、目の前のことを何にするか、ということについて、自由は限られるが選択の幅は必ずある。チャンスと見たら決断のスピードも必要で、そしてやるからには徹底的にやる。もしくは、やらない。メリハリの利いた主体的な決断と、失敗に対するリカバリーも含めて、迷って当たり前のゲームルールとなっている。

若手の内は、それこそ選択肢が限られ、就職した後はある程度人生が決まってしまったように感じられるが、とんでもない。それより、どんどん自由度は上がって行くので、ますます迷うのである。迷っているうちに時間は過ぎていくが、それもまた、人生の特徴。失敗してもいいからなんて言わない。失敗なんてしないほうがいい。小さな失敗をリカバリーしながら大きな成功ができるように、どの道を選択し目の前を変えていくか。主導権はいつでも自分にあるのだから。

目の前のことを頑張ることは、色々な選択の結果であり、その選択をいつも主体的に考えて欲しい。そうしないと、いくら目の前のことを頑張ったって、どこにもたどりつかないのかもしれない。進むなら考えて。考えたら突き進む。この繰り返しである。