orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

TOKUPO 徳を積むという考え方

 

完全に持論なのだが。

「徳を積む」という言葉がある。ただ、徳とは何かについては定義はない。一般的には、善行を積む、良い行いを重ねる、のような意味らしいが、何が善なのか。価値観は環境でブレるので、言語化するのは難しい。

とりあえずは曖昧に、何かいいことをし続けていけばいいんだな、と言う前提で、徳を積んでいくとする。積むという言葉にもある通り、徳とは、ポイントカードのポイントのようなものだと勝手に思っている。

この、徳をポイント化したものを私は「TOKUPO(トクポ)」と勝手に呼んでいて、心の中にTOKUPO POINT CARDを持っている。主体的に何かいいことをしたと思ったら、勝手にTOKUPOが貯まっていく仕組みである。

「徳を積む」というとわかりにくいので、TOKUPOを貯める、みたいに捉えるとわかりやすい。

このTOKUPOだが、失ったりもする。人の悪口を言ったり、信頼を損ねるようなことをしたりすると、貯まったポイントが失われてしまう。

また、うっかり、自分が失敗してしまったときにも、周りの人が「しようがないよ、一生懸命やった結果だから、またがんばってね」なんて応援されるとしたら、それはTOKUPOの特典である。TOKUPOをたくさん持っていると、たくさんの人から気をかけられる。

逆に、何か少し失敗するだけで、周りが攻撃してくるように思えるのなら、きっとTOKUPOが足りないのだ。

普段生きていると、良い行いはわかるけど、それをやって何の役に立つの?と思うことはある。道に迷っている人に、道を教えてあげる。落とし物をした人に落としましたよと声をかけてあげる。いつも元気に挨拶をする。どんなときでもにこやかに対応する。誰もやりたがらない仕事を率先してやる。他人の相談に乗ってあげる。等々。

短期的には、まったく得をせず、無駄というか損をしている気持ちになる人もいるであろう。それはしかし、TOKUPOを獲得するチャンスをみすみす逃しているのかもしれない。

TOKUPOは、利息もつくようだ。時間をかけてコツコツとTOKUPOを貯めていた人は、持っているだけで、更に徳を積める機会を与えられることがある。この人にならお任せしたい、恩返ししたいと周りの人に思わせる効果がある。人がたくさん集まってきて話をする機会も増え、そこでまたTOKUPOを貯めるので、更に複利でTOKUPOが貯まっていくのである。

一方で、TOKUPOを完全に無視し、他人のことを考えずあらゆるときに「ケチ」で、自分のためにしか自分の力を使わない、人に迷惑をかけても自分は損をしない、という生き方もある。TOKUPO Point Cardにポイントが貯まっていないどころか、クレジット機能でTOKUPO借金をしている人もいる。そうなると、なかなかTOKUPOを稼ぐ場所に出ることも難しくなる。信用の無い状態に陥ると、稼ぐ場面すら与えられずらくもなる。悪循環である。人生が良くならない人にはそういう特徴があるように思う。

最近はこのような考え方で、周りへ、献身的な行動ができるようになった。むしろTOKUPOを大いに入手できる場面では、積極的に主体的に動くことができるようになった。自分の行動をTOKUPOに換算しつつ、そのポイントの特典に夢を馳せる。そう、TOKUPOを稼ぐと周りも助かるし、そして自分も得をする。

だからこそ、日々、人々を観察していると、この考えの真裏で行動する人が多いのに驚く。TOKUPOという考え方を元にすれば、自分がどれだけ「もったいないこと」をしているか痛感できるだろう。TOKUPOをたくさん稼いだときの良い人生の変化は、とても有意義なものであり、人生の目的にもなると思う。