orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

「仕事を辞めるきっかけ」の正体とは

 

仕事を辞めるきっかけを認識するのは大事だ。自分のことだけではなく、大事な同僚も含めて皆等しくさらされているリスクである。

就職活動をがんばって入った会社、なぜ辞めてしまうのか。会社の体力は、あらゆる仕事の辞めるきっかけを最小化することで強くなる。人を簡単に辞めさせてしまう会社は、いずれ弱体化する。

私自身も1度辞めたし、目の前でたくさんの人が辞めていく姿を見た。間接的に見送ることもあれば、私に辞表を持ってくるパターンもある。会社を辞めることは自由のうちの一つだが、できるだけ遭遇したくない自由でもある。最低限にしたい。そんなに入社して退社してを繰り返すのは趣味じゃない。環境が変わるのは疲れる。避けられるのならぜひ避けたい。

私の場合を思い返してみると、辞めなきゃという動機が生まれたのが1度だけ。会社に入って山を登っていると思っていた。どんなときでも存分な結果を出してきたし、もっと責任が降ってきたらやってやると思っていたあの時代。しかし、自分が進んでいるのは山ではなかった。山からいつの間に平地に出ていて、どう進んだって頂上につながっている道がないと思った。がんばっても意味がないのに、なぜ、人生の大半を占める仕事時間を過ごせるのか。

キャリアパスを会社が社員に提示しないというのは、これは明らかに仕事を辞めるきっかけになる。この会社にいても詰んでるんだと。社員が頑張る動機は、もしがんばって結果を出したら、未来にもっといいことがあるかもしれない、という妙な希望があるからだ。これがないとして、この先もがんばらないと心に決めて、俗に言う「静かな退職」を決め込んだなら退職しないでぼんやり現職を続けてもいいかもしれない。しかし、そんな人生、まっぴらごめんである。がんばるから面白いのであり、がんばることに理由のない会社にいてもしようがないではないか。

と、思ったのを思い出す。30代半ばだった。10年経った今ではどうだろう。今、転職して山を登っているかと言われると少しイメージは違っていて、道を切り開いている感じはある。何せ道がないので、自分で刈り取って道を作るしかないのだが、結構自慢の道ができたので色んな人(若手)に関わってもらいたいな、という心境の変化はある。もちろん、まだまだ新しい道を作れると思っている。

年齢や立場によって人それぞれ課題は違うが、仕事を辞める、という一点において感じる感情はみんな同じじゃないかなと思う。この先、じぶんががんばる理由がほしい。そのがんばりは年収によって示されるのは前提だが、その上で、その成果についても満足したい。つまり、十分なお金だけもらって、何もない箱の中に入れられて長時間拘束されるとしたら、それはそれで辞めたいと思うのが人間である。

きっと、充足すると良いポイントがいくつかある。

①主体性・・・自分で自分のことが決められること

②創造性・・・何もないところから自分のアイデアでものが作られること

③有用性・・・関係者から称賛されること

この3つが同時に仕事によって与えられない会社は、きっと社員がポコポコ辞めていく。その場合、上の3つを阻害する社員が必ずいる。それを放置したり、対策を考え行動すべき人が原因になっていたりといろいろである。

アットホームな会社やら、経営状態がいいやら、凄腕の技術者がいるやら、福利厚生の充実やら、いろいろと社員定着のための画策を各社考えていると思うが、このポイントに対する視点が欠けていると、どんなにそれをやったところで、止まらないと思う。