orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

がんばると報われる、のウソ

 

がんばると報われるというのはウソだと思う。

がんばらなくても結果はでる。何をしたかが重要で、がんばったかは関係がない。

よりがんばったほうが、報われやすいという側面はある。ただ、無駄にがんばっても報われない。

こういう発想を、できるだけ若いころからやったほうがいいと思う。あまりにも世の中、がんばっていて、報われない人が多すぎる。

それを社会のせいにするのもおかしい。

やり方が悪いのに、社会も環境も関係ないじゃないか。日本は特に、やり方次第で切り抜ける方法がやたらあると思う。国によっては、生まれによって固定的で、どうやっても変化できない場所もある。日本は決まりはきっちりしているものの、運用がどこか適当で、仕組みをうまく利用すれば、持たざるものでも上に上がれる可能性を秘めた、面白い国だと思う。

成功した人/そうではない人を、がんばった人/がんばっていない人、でタグ付けしがちな社会がものすごく歪んでいると感じることがある。ドラマやマンガのテンプレが影響しているのだろうか。主人公は人一倍努力をすることが成功の必要条件だと皆が思い込んでいる。違うだろ、と。ふさわしい環境、適切な方法、本人の適正、選択した内容の将来性、様々な要素を連動させて成功するのである。何やら努力一択で全部が決定されるなんて、あり得ない妄想が当たり前のように共有されている。

がんばるなとは言わない。しかしそれより、成功したいなら、どうがんばるかの方がよっぽど大事だ。むしろがんばらないことより、無駄ながんばりをして時間を浪費し、そして何の結果にもつなげられないほうがよっぽど悲劇だ。

いや、無駄な経験も、将来何の役に立つかわからないから、目の前のことに一生懸命力を使ったほうがいいという意見はあろう。それも否定しない。否定しないが、見極めは重要だ。向いてない、将来性がない、競争相手より秀でていない、伸びない、いろんなウィークポイントを把握しながら、続けない選択も必要になる。将来の時間を別のことに振り向けたほうがいいという選択もある。

さて、この、がんばることより、何をがんばるかが重要、という考え方はどちらかというと若い世代の方に浸透していると思う。普通にがんばったって、ろくな成功はつかめない。だからこそ**誰も思いつかないような突飛な方法**を選べば、存外な成功をすることができるのではないか。それがネットやソーシャルで、わけのわからない不法な手口でお金儲けを企てようという動きにつながっていると思う。私のような社会人経験の長い人間から見ればかなり幼稚な手法なのに、あたかも社会をハッキングするように見せかけているのが特徴だ。

そんな手口に引っかからないためには、私は雑談が必要じゃないか、と思う。ネットの情報ばっかりを学習しているAI・・いや人間にありがちなのだ。雑なデータを学習したら雑なモデルができあがるのはAIも人間も同じだ。もっと生身の人間と、ノージャンルの雑談をもっとすべきだ。それでこそ健全な価値観を得る。自分が当たり前と思っていたことでも他人は知らないこともある。それはネットではわからない。ネットでは、知らないことを知らないと言わないもの。

最近は、結論から知りたがる人が増えている。時間がもったいないからだそうだ。そうじゃない。本当に鍛えるべきは、結論を推論できる大規模言語モデルを自分の頭の中に作ることだ。そのためには、有用なかつたくさんのデータに触れるべきだ。それはネットのような偏って不正確なデータではなく、人間がよい。色んな人と雑談ができること。色んな意見に触れること。これが今後、AIに勝てる人間を生み出し、ふさわしいがんばりを選べる成功する人を作る原動力になると思う。