orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

「死ぬ気でがんばるべき仕事」なんて何一つない

 

最近の若者言葉なのか、気になっていることがある。

「死ぬ気でがんばります」

この言葉をちょくちょく耳にする。

私はこの言葉、すごく矛盾した言葉だと思う。

世の中のどんなエリアでがんばるのかは人それぞれだ。ただがんばる以上は上を目指す。成長したい。成功したい。うん、それはわかる。

そうなんだけれど、その目的って何かって言うと、「生き残ること」なんだと思う。

いろいろな競争が行われ、結構な割合でその場にはいられなくなる人は多い。活躍する人は残った人。やめなくて済んだ人。こういう図式は多様性が重んじられる今でも一緒だと思う。アーティストでも会社員でも芸能人でも、やっぱり厳しい競争の中にあり、勝者と敗者は存在する。

結果として続けられて、そしてある程度以上の評価を受け、その場に立っていられることというのは「生き残った」と言う言葉がふさわしい。裏を返せば、死ななかった、ということになる。

わかるだろうか。死ぬ気でがんばると言う言葉の矛盾を。何かを目指すプロセスにおいて、死んだら負けなのだ。生き残ることが価値なのだ。がんばる前から死ぬ気でどうする。

これは「へりくつ」ではない。もし生き残ることを目的にするなら、がんばり方も変わってくる。

全力を出さなくても達成できる。普通の平坦な気持ちで、全力に対して6割くらいでもできる。それでも周辺から「がんばってるね」「いいね」「すごいね」ぐらい言われてしまうくらいの領域を見つけることが大事だと思う。いわゆる、適性、である。人それぞれ適性というのものがある。努力しようとしなくても何だか人よりできる、みたいなエリアだ。その分野でかつ、自分がそこで生きることを選択したいと思ったら、それが人間におけるチャンスなんだと思う。だって、全力を出さなくたって生き残れるパフォーマンスができるんだから、続けることに向いている。

日々、パフォーマンスを出し続けることを、なだらかな気持ちでもでき続けられること。このプロセスを「がんばる」というなら、その人は生き残れると思う。生き残ることがすなわち、勝つにつながるのが真実だと私は考える。

死ぬ気でがんばらないと生き残れないのなら、いずれ高い壁がやってくる。人は、生き残りながら、永遠に死ぬ気でパフォーマンスし続けることはできないからだ。どこかで自分に無理を強いることになる。そのうち、力が出なくなる。そしてパフォーマンスが劣化する。そんなに毎回、力が出るように人間はできていないから。

何を目指すとしても、その道のりは長い。どこで活躍の糸口を見つけ出せるかわからない中、考えるべきは1つ1つのパフォーマンスにおける気合の強さではない。普段の生活の延長線でも成し遂げることができる適性。これを自分の中に見出し、そしてその道を選択することに納得すること。この状況を時間を使って積み重ね、いろんな試練に対してなだらかに、柔軟に対応していき、そこそこの結果を出し続けること。そうすることで、周りが信頼してくる。あの人は、いろんな仕事に対して安定した好成績を収めてくれる。だから仕事が集まってくる。

それを、「死ぬ気」ドーピングで、精神的なゾーン状態で高いパフォーマンスを成し遂げることを売りにしようとするなら、続かない。続けられないと絶望し自分で諦めてしまう。そうやって退場していく人が数多くいる。

それより、多少の失敗はあっても反省して、次はよくやろうと思い地道に続けること。もともと「死ぬ気」でなんてやってないので、回復も早い。柔軟でしなやかな心を持っていないと、なかなか長丁場の競争社会を生き残るのは難しい。

命を懸ける仕事なんて、無いと思う。命あってこそ次があるのだから。だから、自分をもっと大事に。余裕を常に持って。無理をしない。これでこそ、将来の成功に向かって安定的に進んでいけるんだと思う。