orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

世の中はウソで塗り固められた真実で成り立っている

 

みんなでがんばろう、とは会社組織でのコンセンサスである。みんなでがんばらない会社なんて一つもない。もしあるのなら解散するべきだし、別々で活動すべきだ。みんなでがんばるのが会社だ。

しかし、会社にいるとがんばらない人はいる。がんばっている振りをしている人。がんばることすら放棄する人。それでも会社から疎外されないのは、がんばらなくても一定の結果を出しているからであり、法律的にも結果を出している人を排除することはできないようになっている。

だから、「みんなでがんばる」という建前と「人々の内心」にはギャップがある。全ての参加者はがんばってはいないのに、経営は「みんながんばってる」という前提で話をする。がんばりの指標が、売上や利益だったりするので、ギャップがありながらも数字が追い付いていればがんばったことになる。

その差分こそが、会社の人間模様を面白くする。

めちゃくちゃ残業して、一生懸命仕事に精を出し、会社愛を日々振りまいて、たくさんの人と仲良くして、でも会社の足を引っ張るような仕事をしてしまった人は、がんばってないことになってしまう。

むしろ、がんばってなくても、利益貢献にかんだ上で「がんばっているフリ」さえしていれば、会社からはメチャクチャ頑張っている社員扱いされてしまうのだ。

おそらく仕事時間中、半分の時間を遊んで過ごしていても、それを隠した上で実績を残し、そしてそれを周りに「めっちゃ大変ですけど、結果が追い付いていてよかったです!」みたいな態度を周りに振りまいていれば、勝手に、「がんばっているな」と人々は思い込むわけである。

そのルールを熟知した人々がたくさんいて、会社があり、そして会社が存続する結果を出し続けていれば何が起きるか。たくさんの人ががんばっていないのに、みんなかんばっている前提をみんなで確認し合う、のような場が作られていくのだ。飲み会やら、社員総会やら。

そんな場に参加した新卒が「自分もがんばらなければ!」と肩に力を入れて仕事に参加し始めるも、だんだんとわかってくる。あれ、みんな、実はがんばっていないんじゃ・・。だから、数年経つと新卒たちのピュアな瞳は、だんだんと陰っていく。毎年の風物詩でもある。

でも、みんな言えないでしょう。「がんばってなくても数字出してればいいよ、おー!」とは。

私自身は、子どもの頃、かなりの田舎で育った。いわゆる「ピュア」を知っていた。会社とは全くピュアじゃないと思う。あまりにも数々のウソを真実化した上で、ウソと言ってはいけない、というルールの存在を感じる。どろどろした世界だなと思う。

でも、考えてみれば、それがウソであるとわかってみれば、とてもわかりやすいとも言える。みんな「がんばろう!」って表情や行動を見せながら、本心ではそうじゃねえよ、とわかっていれば、裏は読めるのである。裏と裏で会話するなんて高等テクニックすら成立しやすい。あ、この人今こう言ってるけど、本当は、ああいう風に思ってるんだな、とわかるし、自分もそれをやる。

全てがウソだから、全部ウソだと思ってサラリーマンを辞める人もいるけど、私はそんな風には思わないな。全てがウソだとしても、真実はその中にあって、その真実を守るためにみんなウソをついているとしたら、なんとわかりやすい世界、とも思うのである。裏の裏は表だし、表の裏は裏である。