orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

AIで仕事がなくなる、と考える人に足りないこと

 

AIが我々の仕事を奪う!という話はもうわかったから、一度落ち着こう。とりあえずそれは明日じゃない。明日起きないことを、感情的に話したって何も出てこないよ。そんなことに時間を使うなら今日やらなきゃいけないことをがんばったほうがいい。

さて、こういう先端技術が我々の生活に入ってくる機会は過去何度かあった。人はiPhoneに例えてるけど、実はまだもっと前。パソコンが普及した1990年代にも同じような議論があった。

あなたはペンで、紙に字を書くことがどれくらいあるだろうか。もう役所仕事ですらデジタル化されつつある。去年、自動車を買い替えたのだが、ほとんどタブレットでのやりとりで完了した。印鑑はサインになった。タブレットをペンでなぞるのが手書きかと言われるとなんだか微妙な気分にはなるが、それぐらいだった。ペンで字を書くというのは。

仕事において私は、手書きで字を書くことは皆無だ。ペーパーレスの仕事になっている。仕事がそうでプライベートも字を書かないので、私はそもそも字を書かない。字を書かないままもう二十年余り経つ。

それで、字を書けなくなったか?と言われると、たまに、めちゃくちゃ久しぶりに字を書いたりすると、とても違和感を持つ。例えるなら久しぶりに自転車に乗ったときの気分だ。でも乗れる人は何年経ったってすぐに乗れるんじゃなかろうか。字だって、普通に書けるよ。ただ、漢字のど忘れは増えた気がする。パソコンやスマホだと、漢字は勝手に出てくるからね。それを手書きで再現しようとすると、結構記憶の欠落を感じた。

自動車がこれだけ世の中に普及しても、歩くことがなくなるわけでもない。でも歩く距離は減る。そういや、もし一人暮らしで、しかもビジネスチャットやメールで全てが済み、そして在宅が仕事場なら、話すということ、声を出すことまでしなくてよくなるのかもしれない。

そうやって考えると、パソコンが手書きを無くしたように、AIもおそらく何かを無くす。何だろうか、文字の予測変換のように、自分が書きたい文章を勝手に書いてくれたりして、それをぱぱっと修正するだけで成果物にできるという感じになるのだろう。

予測変換のすごい版だ。いまだって、ローマ字入力で読みを入れるだけで適切な感じがどんどん出てくる。それが文脈や内容まで機械が考えてくれるんだよ、という話である。

お金とは、特定の人間が満足と引き換えに支払うものだ。その満足を与えるプロセスを仕事と呼んでいる。この定義を踏まえれば仕事はなくならない。ただ、その仕事をどのように完成させるかが時代によってどんどん変わっている。大量生産の時代は人海戦術で組み上げていた製造プロセス、今ではどんどん機械化・ロボット化している。ただその結果に対してお金は払われる。だから、どのようにやるかを考え、実行し、問題があれば対処する人間は、そこには絶対必要となる。

今後、AIは、手書きをデジタルがなくしたように、仕事の形を変えていくだろう。ただし仕事は残る。人間は、AIを使って仕事をこれまでよりはるかに効率的にこなすようになるのだろう。これからの人間はその方法を1つ1つおぼえていけばいいだけの話である。パソコンが出てきて、MS Officeが企業標準になって、そして世の中の人々はなんとか使い方をおぼえた。iPhoneやAndroidが出たときもそう。皆、使い方をおぼえて、仕事のあり方を個々人が変えていったわけだ。別にAIが仕事に食ってかかるわけじゃない。

今の所AIは「出てきたばかり」で、できることがすごいことは皆知っているが、それをどうやって現場の仕事に取り入れるかまでは結論が出ていない。結論が出きってからで私は十分だと思っている。WordやExcelも、私は16ビット版のころから付き合っているけど、先行者利益などはないわけだ。iPhoneだって3GSのときから持ってたよ。でもそれがどうしたの世界だよね。誰でも使えるから素晴らしいわけで、誰でも使えるようになったのは、登場してから数年後なのはどれもこれも一緒である。

AIで仕事がなくなる、と言う前にAIをまず楽しんでみて。そして自分の仕事にどう応用したら便利になるか考え・・ということの連続なのではないかな。そうやって考えていけば、仕事そのものはなくなることはない。ずっと仕事のそばにいられると思うよ。