orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

生成AIは、単なる流行とは違う技術だ

 

生成AIのことをまだオモチャ程度にしか思っていなかったけど、進化のスピードが目に見えて速くなってきた。半年前にできなかったことができるようになっている。また、できることの品質が見違える。

この経験って、過去にもある。まずはパソコンがそうだった。私が初めて出会ったパソコンは8色しか表示できなかったのが、しばらくしたら4096色まで表示できるようになってすごいなと思っていた。そしたら1667万色天然色みたいな機種も出てきて、そこから解像度も上がり・・と、垂直に性能が上がって行くのに付いていくのが楽しかった。

パソコンの次は、携帯電話。ガラケーである。外にいて電話できるのが未来だったのに、iモードのような文字情報が外でサーチできる。iPhoneが席巻するまでは、携帯メーカーが色々機能を争ってそれはそれで楽しめた。

ゲーム機もそうだった。数年ごとに新しいハードが出て、そのハードを活かす画期的なゲームが出て・・というサイクルが楽しかった。

その技術そのものが楽しいというよりは、技術が発展してどんどん想像していなかったものが商品化され、生活が豊かになっていくのが良かった。

最近はそういった技術の進歩とは違う、環境に良いとか、格好がいいとか、何か抽象的で欲求を刺激しない技術の進化ばかり目立っていたと思う。それは、コロナ禍で停滞して人々のコラボレーションが損なわれ、イマジネーション不足に陥った結果だったのかもしれない。少なくともここしばらくは停滞の時代だった。

そう言えば、クラウド、もそういうサイクルにあった。毎年のイベントで新機能目白押しで業界が活気づくみたいなこともあったけど最近はないな。値上げの話ばかりだ。

今、その文脈で生成AIがかなり来ている。楽しいので私もパソコンで毎日触っているが、ネットで調べていると新しい発見が常にあり、できることが日々増えている。この感じはパソコンがインターネットにつながり、日々情報が錯そうしている中で試し、失敗もするが楽し、みたいなあの頃と同じだ。

 

ただ私は一度生成AIの世界を一度あきらめたことがある。進化が止まった瞬間が確かにあった。その停滞で「また、幻想だったか」と一度フォローしなくなり、数か月して技術動向を再度確かめてみたら、ものすごくできることが増えていて驚いた。

乗っている技術と言うのはそういう傾向がある。全て把握してこんなもんか、と思った先がある。ちょっと目を離すと様変わり。それならと言うことで日々付いていくと、知らぬ間に専門家になっていくというサイクルに入ることができる。この世の専門家なんてそのタイプが多いのだ。

こうなると「今の生成AIがどんなに低性能だろうが意味はあまりない」という話につながる。だって時間の問題なのだから。それより性能アップをすることを前提に将来を考えた方がいいし、楽しい。できることは増え、価格は下がり、手に入る可能性が高くなる。手に入ったらどうする。性能が上がったらどうなる、もう生成AIはそういう段階に入ったこと自体を伝えておきたい。「おもちゃの段階」であるのは確かだが、いずれそうは言ってられなくなる。ああこれなら、仕事でも使えるか、というところの手前まで来ているような感じ。そして使えるようになったらその段階をすぐに追い越し、思ってもない社会影響が出るときに自分が詳しいという将来。このルートが現実的になってるんじゃないかとやっと感じるようになってきた。

これはAIが数学やら統計やらっていう話ではなく、使える道具としてのAIの話。誰もなぜディスプレイが映っているのか知らないけど、普通に使っているでしょう?。それと同じ。これはもう、来てしまったね。