orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

AIからは逃げられない、仕事を奪われないための発想

 

私はよく競馬場に行くのだが。

競馬場と言っても、もちろん関東住みなので府中や中山の中央の競馬場には週末行くが、それだけではなく、南関東の地方競馬場、川崎・大井・浦和にも行く。船橋だけは行ったことがないがいずれ行くことだろう。そう言えば、この前WINSにも行ったっけ。とにかくよく動いている。

そこで気がつくことがある。競馬なのでレースについて音声ガイダンスが流れる。只今のレースが確定しました。単勝おいくら、複勝おいくら・・。ふむふむ・・。いつもの光景である。

しかし、最近よく感じるのが、音声が自動音声であるということだ。このあたりからAIがすでに入り込んでいる。人間が労働していた部分にシステムが入り込み、どんどん自動化されていった歴史があるのはご存知のとおりである。そして、レース結果の音声読み上げも結局は「システム」であり、レース名と数字の組み合わせと配当金額が決定すればテキストができるところまではAIでもなんでもない。読み上げるところからがAIの出番となる。

自動音声、だけではAIとは言いづらいところもある。もっとインテリジェンスで非定型な仕事をクリエイティブにこなさないと世間一般のAIの範疇に及ばない。昔から自動音声自体はあったわけだから。

ただ、最近の競馬場は自動音声だけではない。例えば過去の競争データを全て読み込み、結果傾向を出力するみたいなことをサービスとして実施し始めている。使うかどうかはともかく、もうそこにある。

これまでのチャットボットと言われるような、AIがやってますよサービスは、使ってみればわかるが明らかに人間じゃない感が強かった。だから、そういう類のものは避けていけばAIとは関わらないで生活することが可能だった。

ところが今年になって妙なことになってきた。AIのアウトプットが、人間のそれと違いがつかなくなってきた。ということは、受け手である人間はAIの仕事だと気づかずに、仕事の結果を受け取っている可能性がある。そうなるともう、AIとお付き合うすることを避けようがない。

その上、過去人間がやる仕事だったことが、どんどんAIが肩代わりしていく。競馬場全体はシステムが管理し、その上で人間が動いているという立て付けだった。その人間部分がAIに変わっていく。AIの面積が広がっていく。

そうなったときに、はて、人間の役割ってなんだろう、ということにたどり着く。

これから、一般的な「仕事」が発生したときに、きっと人間にやってもらうのか、それともAIがやるのか、ということを普通に迷い出す。もしAIがある程度の品質で仕上げられることがわかったときに、積極的にAIを採用する場面も増える。この条件で言えば、人間の仕事の分野は今と様変わりすることになる。相変わらず人間でもAIでも、仕事内容を考え仕事を振り、そしてお金を入手する人はいる。ただ、その下にいる、仕事が降ってくるのを待っているような人の居場所はどんどんなくなっていく。その競争相手が人間じゃない、というのはなんとも形容し難い時代の妙味を感じる。

いや、AIに、まごころやおもてなし、みたいなことの再現は無理でしょ、と思う人もいると思うが何となくそれすらも、AIは学習してしまいそうな気はしている。人間にも、まごころやおもてなしの心があるわけじゃなく、「まごころやおもてなしを感じるような態度と取られやすい行動や言動」を表に出しているだけに過ぎないような気がするからだ。

だって、勉強すればなんとかなるから、人間なんでしょう?。それはAIだって一緒だよ、と。

これから人間がやるべきことは実は、AIに学習させるのと同じ仕組みだ。正しいデータと、正しい経験をインプットし続けるだけだ。人間はその上で、新しい発想を想起することができる機能があり、それはおそらく、今のAIよりはかなり品質が高いと感じている。ここしばらくはAIに負けそうがない。

ニュースで事件・事故を見ながら、いろんな人が誤った行動を取っているなと思うが、あれは、誤ったデータを大量かつ定期的に摂取し、誤った学習をした結果だな、なんて理解している。やるべきはその逆である。