orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

なぜか会社にすると騙される人間の性質に気を付けよう

 

個人一人で仕事をするとする。フリーランスと言うべきか。

仮にその個人が何らかの理由で仕事が継続できなくなったとき、仕事を発注していた方はすごく困ることになる。やってくれるからと思って時間が経過したら、納期間際に間に合わないだの技術的に問題があるだの。発注側はその仕事が完了することを前提にさまざまな準備をしていたため、それは困るとフリーランスを問い詰める。お金をフリーランス側に支払わないことはもちろん、それができないことで発生する損失まで請求することもある。

個人に任せる以上はそんな可能性もあるので、フリーランスへの仕事は責任を限定せざるを得ない。もしくは成果物での支払いではなく、準委任のような時間精算にしておいて、途中でできなくなることも想定にいれておくやり方もある。その場合は、発注側が、フリーランスの進捗状況を厳しく管理する必要はもちろんあるのだが。

このように、個人に対して仕事を依頼することにはリスクがある。だからどうするかと言うと、会社に対して依頼することを前提とする。会社であると何が良いかと言うと、まず会社に対する信用度が確認できる。決算がいいとか悪いとか。設立何年だとか、上場していたら決算まで公開されている。身ぎれいかどうかわかるので、仮に「飛んだ」としても、損害賠償を支払えるとか、他の社員で何とかしてくれるだろうとか、いろいろである。個人と契約する時も、会社を通して契約したいというケースは非常に多いと思う。フリーランスとの直取引を嫌がる理由はそこにある。

さて、会社とならそのように、取引を安心してしやすい風潮はあるが、実際に仕事をしていると果たしてそうなのか、と思うシーンもある。

会社は、人間の寿命のようなものがない。誰かが引継ぎ続けることで永遠の命を持つ。だから、いつまで経っても仕事を安定的に引き受けられるように装うことができる。しかし、実際は中に人がいるのである。仕事ができるコアメンバーが一人ないし数人しかおらず、その他のメンバーは戦力になっていないかもしれない。その場合、そのコアメンバーが何らかの理由でいなくなったときに、大幅に戦力ダウンする。

だから、会社を、「寿命のない人間」みたいな扱いとすることはおかしい。中の人には寿命がある。定年がある。その会社の中で育成プロセスと、知識を貯蓄するシステムが働いていて、ちゃんと仕事が継続していくのならよい。しかし、会社であること自体はそのプロセスやシステムを保障してくれるわけじゃない。

社会を今見渡してみると、古くからの会社で知名度はあるのだが収支が合わなくなった会社が、「廃業します」という例が散見され始めた。

もはやお金の問題ではなく、中の人の洗い替えに失敗し、その結果事業を継続できなくなる、みたいな例が本当に起き始めている。

一つはこれまでの例のような「発注先」なのだが、実は「発注元」にも同じことが言える。発注元すら高齢化する。いつも仕事をくれていたあの人が、定年でいなくなり、途端に仕事の話が通じなくなった、納品しても意味をわかってくれなくなった・・ということも起こり得る。

会社と会社で働いていると、まるで永遠の命を持ったように感じ、仕事はいつまでも続いていく気持ちになるが実は担当している人は、年を重ねる。それを何年もまわしていくとわかる。結局は、人と人との付き合いである、と。会社というお飾りを外すと、コア社員が一人二人でぐるぐるまわしているだけ。

今一度、確認する必要がある。

・長い取引先の担当者がいつも同じ人でいつまでも変わらない
・他の社員が出てこず、関係者が限られている
・これまでの経緯で話が省略されがちで、その経緯を知らない人が近づけない

こんなふうになっていたら、大企業だろうが中小企業だろうが、危険だと思っておきたい。相手は結局人間の集まりで、「種々の事情で事業ができなくなりました」は、あり得るのである。