orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

誰でも参加できるインターネットサービスの成長と衰退と

 

この話は、25年前くらい(1996年ごろ)に心理学科を卒業する時の卒論テーマだったのをおぼえている。匿名におけるネット空間での心理状態だ。当時は2ちゃんねるも無かった。2ちゃんねるって1999年5月にオープンしたらしく、ああ結構最近(っていっても昔だけど)なのねと理解した。

当時はインターネットというより、パソコン通信の末期あたりで、それでも匿名でのコミュニティーは成立していた。スマートフォンどころかガラケーもない、通信手段と言えば電話しかなかった時代に、パソコン通信につながった様子というのはかなり革命的だったことをおぼえている。

学生が払うには結構高いお金を払ってパソコン通信に参加していたのだが、匿名でのコミュニティー形成の、成長および衰退の様子についてはある特徴が見られた。

 

・コミュニティーの規模が小さいときには、皆紳士的で、かつ知的な会話が繰り広げられた。そのやりとり自体がコンテンツになり、人々が集まっていき、人数が増えて行った。コミュニティーは成長していると感じた。

・日々、ログインする度に知らない人が増え、知らない人が知らない人と話している様子をたくさんの場所で見かけるようになる。中には議論というか、ディベートのようなことも起こるようになるが、ある時期まではそれはそれでコンテンツとなりえた。

・だんだん、攻撃性の高い意見が目立つようになる。それとともに、紳士的な意見を書き込んでいた人がコミュニティー自体をリードオンリーにしたり、去って行ったりした。不快だからだ。また、攻撃性の高さから、初めから議論する気はなく人々を混乱させたりネガティブな思いをさせようという「荒らし」のような投稿も目立っていく。どんどん暗い雰囲気になるので、仮に書き込む際は、攻撃性に対処することを前提として書き込みをしなければいけなくなる。読む際も、強い攻撃性を目にしないように気を付けながら読まないといけなくなる。

・最後は、限られた人だけのコミュニティーになるが、参加者はいつも攻撃性を露見させて争い、ギスギスしている。それを当たり前だと吹聴するようになる。だから新参者が入りにくくなる。

 

このプロセスを通じて感じたことは、匿名性が高い環境は、自身の中の攻撃性が露見しやすいことだ。あれだ、混雑している駅で平気で歩いている人にぶつかってでも行きたい道を進もうとする人がいる。満員電車に入口でタックルしてでも乗ろうとする人がいる。匿名性が高くなると他人に対するリスペクトが減少し、粗雑に扱ってしまう。そんな性質が人間にはあると思う。それが、ネットの世界では、匿名性が強い前提となっているため、再現しやすいのではないか。

SNSが2010年前後に流行し出したとき、なぜこれまでの匿名コミュニティーと違ったかというと、ある程度匿名性を制限したからだ。電話番号がないとアカウントが取れなかったり、誰かの招待無しではジョインできないなど、匿名性を廃すことで攻撃性の抑制を測ろうとした。しかし、そうした場合、逆に「見栄を張りあって疲れる」という現象にさいなまれるようになったのは面白い。また、SNSと言っても匿名性が強いメディアの方が利用者数が多いのも面白い。

 

昨今は、人間の攻撃性を前提として、AIで度を過ぎたコメントを抑制するプログラムが流行っているようだがそれが、衰退を防げるのかは甚だ疑問だ。

匿名コミュニティーは、成長した後確実に衰退する。この25年でいくつもの場所で再現した。それでもまだ、人間は匿名コミュニティーの永続的な成長を諦めないのか。新しい試みが生まれるたびに、あーあ、またいつか見た景色だなと感じる。そんなことで攻撃性は緩まないし、人々がそれを見て去っていくことも避けられない。

少なくともテクノロジーはまだ、それを解決できていない。今後もできなそうである。