子どものころは、クラスで人気者、面白い、明るい、快活、みたいなキャラクターがこの世界を制圧するんだ。落ち着いてる、暗い、静か、みたいな性格だとこの世ではモブのように生きるだけだ、と思っていた。
けど、社会に出ると全然違うね。
感情的な抑揚は、穏やかな方が好まれる。もちろん、より感情を表現したほうがいい場合もあるが《冷静に》コントロールした上でだ。ジャパネットの通販で、キャストがお買い得と叫ぶが、彼らの目が冷静であることがわかるだろう。
怒ったり、悲しんだり、興奮したり、落ち込んだり、この起伏が激しい人には、仕事が近寄ってこない。危なっかしいからだ。気分で結果が0.4になったり1.8になったりされても困るのだ。いつでも1.0に近しい結果を出せる人。もしくは1.1、1.2と、安定してよりよい結果が出せる人。
他責傾向が強い人もダメだ。何か失敗事があると、同僚が悪い上司が悪い会社が悪い、挙句の果てには国家が悪い。自分の責任を認めない人は成長しないとは言うがその通りである。一方で自責ばかりで落ち込んでしまい、客観的に改善活動ができないのもそれもまずい。客観さの中で、自分と周辺を公平に判断できる人が求められる。
周りに文句ばっかり言う人が「彼は安定している」とは言われないだろう。
柔らかく反応し、怒りや不安をぶつけない。優しく、優しく。論理的に、穏やかに話すこと。公平であること。
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そんな人間でいたい、とは思うものの人間とはもっと子供な生き物だ。本当は、感情をそのまま表現したいし、相手が悪いと思ったら責めたくなる。自分が悪いとは認めたくない。
でもそんなことをしたら、自分の評価を下げるのも知っている。
だから、よりよいペルソナであろうとする。このギャップが、会社で仕事をする上でストレスになると思う。
本来の自分と、会社での自分。絶対にイコールではないので、自分の中で自分をコントロールする努力が絶えず必要になる。
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だから、普段から、会社に行ってご機嫌な態度でいつもいられ、周りに笑みを絶やさず、忙しい仕事の間にも余裕をもって人と接することができる。そんなことを日常、ずっと出来る人ってすごいことだと、私は思っている。
他の人の心の中なんて見えないけど、会社では私の心の中はいつもドキドキハラハラしている。よくあり続けようという心が強すぎて過敏なのかもしれないが、他の人はすごいな、と思う。それとも、他の人も同じなんだろうか。そうすると、随分たくさんの人ががんばって過ごしていることになる。心当たりはある。みんな、安定しているのではなく、安定した姿を見せようとがんばっている、ということ。かなりの人がそうなのかもしれない。わからないが。
リモートワークの楽さは、一人で仕事をすることで随分安定していられるということ。逆に、安定した姿を見せる努力をしなくなるので、がんばりが減って緊張感が無くなり、ストレスが無さ過ぎること。
私がオフィスに戻ったのもストレスが欲しくて戻った。そして最近は、このストレスが見えるようになった。リモートワークで随分出会ってなかったストレスと再会した。
優れた社会人であろうとするなら、どうしてもこのストレスとの付き合い方をマスターしなければいけないんじゃないか、と思っている。そのためには避けているわけにはいかない、と思った。
心が安定している、と他人に思われるのは実はすごいこと。すごいことだからこそ、私は日々ストレスと向かい合い、対処していきたいと思う。