orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

中流危機、そして20年前の記憶

 

NHKスペシャルの「中流危機を越えて」はもちろん見ている。

 

www.nhk.jp

かつて一億総中流と呼ばれた日本で、豊かさを体現した所得中間層がいま、危機に立たされている。世帯所得の中央値は、この25年で約130万円減少。その大きな要因が“企業依存システム”、社員の生涯を企業が丸抱えする雇用慣行の限界だった。技術革新が進む世界の潮流に遅れ、稼げない企業・下がる所得・消費の減少、という悪循環から脱却できずにいる。厳しさを増す中流の実態に迫り、解決策を模索する2回シリーズ。

 

この番組の中で、「企業依存」という言葉が繰り返されていたがおかしいと思った。まるで国民が企業に依存しているようだが違う。国は個人にかかる税金を非常に重くする政策を行っている。消費税、所得税・住民税、それに社会保険料と、ここしばらくで、増税の方向にしか進んでいない。一方で、企業にかかる法人税等は重くせず、そのために内部留保が積み重なっているということを番組内でも言っていた。その上で、企業が生き延びやすい環境を与える変わりに、企業は社員を守りなさいよ、これが日本の経済運営だ。だからこそ、日本の企業は世界有数の長寿だ。どんなに業務内容が陳腐化してもなかなか潰れないようになっている。そして、企業には、国側で実施するような福祉の内容を会社に求めるという図式だ。正規社員は高いレベルの福祉を受けられつつ、非正規社員は福祉が行き届かないという矛盾が発生している。

そんな国で、企業依存という言葉は軽々しい。国民負担が大きすぎる。手取りがどんどん削られていく。その上で、企業の競争力が国際的に右肩下がりとなり、給料は上がりにくくなる。

もし、国民が企業に依存しない形を取るなら、企業の納税負担を上げるとともに、国民の納税負担を下げ、国民の余力を増すべきだ。競争力のない企業はもっと潰れやすくし、国民は余力を持って企業を移れるようにしなければいけない。また、企業が福祉を担当する義務を削減し、企業に属していない国民にも等しく福祉を与えるようにしなければいけない。

企業に依存しているのは国民ではなく、政府である。

 

さて、20年前のことを思い出してみる。私は就職氷河期世代でIT業界をたまたま選び、そして20代で結婚し、マンションを買い、子どもを育てるという、まるで番組の中の方と同じような人生を選択している。しかも専業主婦世帯である。子供は一人だったが。

期間がものすごく長い住宅ローンだったし、頭金もわずか。

買うかどうか迷っていたときに、こう言われたことが記憶に残っている。

「世帯を持って家を買って、二十代で住宅ローン。これで支払えない社会になるなら、周りもみんな支払えなくなるから同じだよ。そうなったときはみんな救われる。」

ある意味そうかも、と思って、私はリスクオンした。買った。

そして今も住宅ローンを支払い続けているが、幸運にも破綻していない。それは、新卒のときになぜかIT業界を選び、そして既に企業依存でなかったからというのが大きい。ITの仕事は、企業を移ってもそのまま利用できる技術が多い。だからこそ、一度だけだが上手な転職ができたし、それでなんとか生活できる昭和のモデルにぎりぎり乗ることができた。

今番組を見て、そして私が今20代だったら同じ選択をしたか。絶対にしないと思う。そして、「みんな救われる」と言う人は周りにいないだろう。今は、みんな救われないのだ。

今から不動産を買うなら、断然田舎の中古住宅だ。人口が減少していて在庫がだぶついて値段が下がっているらしい。それを引き取ってリノベーションして住むのが今の最適解のように思う。リモートワークも一般的になってきた。

それでも都会に住むなら賃貸一択だと思う。

都心集中の流れは変わらず、地方が加速的に衰退している。この逆を行くのがいいと個人的に思う。

20年前だって、デフレが恐ろしく進行していて、都心にマンションを含めて不動産など買ってしまえば、途端に資産価値が落ちるとかなり脅された。しかし結果は逆となった。そう、世間が言っていることは全く当てにならない。ならなかった。

いつだって、おそろおそろしく社会とその未来を表現し、何もしないことを推奨する人はいるが、無視でいいと思う。それより、戦略的に行動することだ。時代は変わっているが、必ず隙がある。「みんな救われない」のなら、そのみんなにならなければいい、それだけだ。