orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。

若者と中年と老人と

 

若者。

中年。

老人。

なんと、極端でわかりやすい世代分解でしょうか。40代の私は・・中年なんだろう。じゃあ30代は?。ちゅ・・いや若者か。

40代を老人と言うといやそれ違うと言われるでしょう。

じゃあ50代は?。老人というにはまだ若いか。中年でいいのかもしれない。

60代を老人と呼ばないと、もう老人と呼べるのは誰という話になりますが、なんとかアンチエイジングして中年にいようとすることはできそうな気がします。

そう考えると、この若者、中年、老人というカテゴライズの適当なこと。肉体的な側面も、精神的な側面も、客観的な基準がありません。

ただし言葉だけは厳密に存在していることから考えると、抽象的な定義があり、「こいつ若者かよ」「こいつ中年かよ」「こいつ老人かよ」みたいな使われ方をするのでしょう。定義ありきで、その上で人の行動・言動を評するときに当てはめて使う。

ということは、自分自身の行動・言動を管理することによって、自分がどのカテゴリーに入るかをある程度はコントロールできるということが言えると思います。70歳超えて「若者かよ」と評されることも理論的にはできそうな気がします。さすがに肉体的な衰えはあるでしょうが、精神的な面においての若者感というのは不可能ではないと思います。

まあ、そもそも、若いほうがいいなんていうのもバイアスであり、若者が、中年・老人へのカテゴライズを目指すなんてこともアリなのかもしれません。・・が、ネットを見ていると、かなり中年や老人って言葉は、悪口に近いような印象を持っていますがどうでしょうか。20代が、老人になりたい、と言ったらなんだか変な感じがしますのでそうなんでしょう。

でも、おかしいですよね。人って経験を積めば積むほどレベルアップするものじゃないのかしら。RPGでもそうでしょう?。ところが肉体で考えると20代でピークを迎えあとは維持するイメージ。20代を過ぎると最大値がだんだん下がっていく感じでしょうか。何もしなければもっと下がるような。精神面のイメージもなんだか20代がピークで、新しいことの吸収力はどんどん下がっていくように捉えられている雰囲気もあります。

この、若者・中年・老人という言葉に含まれた、強い思い込みのようなものに、世間はかなり影響を受けていると思わざるを得ません。別に40代になってから新しいことを始めたり、学んだり、勉強を始めたりしてもモノになるのに。体力だって老人と呼ばれる世代でも、豊富な方もいます。精神面だって、40代から勉強を始めるかたもいらっしゃいます。時間の経過をレベルアップと捉える方もいれば、長い間衰退し続けるイメージの方もいらっしゃる、そういうことでしょう。

noteメンバーシップにて、様々な世代との会話をする中で最近は、今回の世代論に対する研究を行っています。年代による傾向分析はどこまで確からしいのか。それに当てはまらない人がいるのか。いたとして、本人はどう考えるのか。同じ世代・同じ性別でも真反対の人もいらっしゃいますので、正直言って「若者・中年・老人」というラベリングがかなり役に立たないと言うのが率直な印象です。人生は20代からかなり分岐しているんだな、と。一日一日の選択はそこまで大きいものじゃないのに、10年単位で大きく人の運命を変えていく。良い、と思ったことを常に選び続けることで大きく居場所がずれていく。

不思議だなと思うのが、10代のときは同質性、みんな同じ、平等、みたいなことが強調されていたのに、実際起きることって、時間の経過により人によって異質になっていくこと。おそらく10代の、刷り込まれた同質性の思い込みを打破できず、世間の衰え行くイメージを抱えた人が、のまれていくのかも、と冷静に思います。

なんとも人生とは、人により様々で、何とも、若者・中年・老人という言葉が役に立ちません。言葉だけがさまより、都合の良いように使われ、そして実態がない。であれば、もっと自由に人は生きてもいいような気がしますがいかがでしょうか。都合の良いように使われるのであれば、人の生き様こそ都合よくあればいいと、そう思います。