ぜいたくな悩み

 

日々を生きていて、何も変えなければ、目の前のことをがんばっていれば、基本的には何も変わらない。私の場合は仕事があって、家庭があって、そしてネットがあるぐらいのものだ。

人間が不思議なのか自分が不思議なのかはわからないが、変わらないという状況は少々焦る。安定している方がいいと思う一方で、飽きる。刺激が少ない。人生という有限なストーリーの中で、第一話、第二話・・・と積み重ねるも、第〇〇話で「この話、マンネリだな」「この話、先が見えたな」と読者に見透かされる感じだろうか。

この奇妙で退屈な安定、振り返るといろいろ苦労をしながら今にたどり着いていることがほとんどなので、一方で「ぜいたくな悩み」とも言われる。今の状況が継続することを幸せと思いなさい、という説教もある。

しかし、そんな自己暗示をかけたところで、つまらない小説を逆さにふっても面白くなるはずもなく。自分自身がつまらないと思うのだから、素直に受け入れることにしている。そして、この安定をわざわざ変えることを「局面を変える」と呼んでいる。

さて、どう局面を変えるか。最も手っ取り早くて大がかりなのが転職である。転職は明らかに人生を変える。人間関係も、たくさんの時間を費やす仕事の中身も、通う場所も、家計も、何もかも変える。ただ、これだけ大きな影響を与えるのに、動機にギャップがある。「つまらないから転職する」ってことをやっていると、局面を変えたい度に転職するのかということになり、全く戦略的ではない。よほど整わないと決断しない。いくら変えたいからと言って、悪い方に変わったら文字通り元も子もない。

転職をソフトに考えるなら、社内異動という手段もある。これもだんだん年齢を重ねると非常にやりにくくなる。求められたらやるという程度で、自分から進んで会社に、「つまんないから異動させて!!」と上申するのって、少し異常者みも感じる。年齢で考えればぎりぎり30代前半までかな、という感触である。これはチャンスが訪れたら、という受動的な側面が否めない。

仕事で局面を変えるというのはなかなか難しくて、かなり保守的にならざるを得ない。積み上げたものを一度崩すことになり、それをまた組み上げるとしてそれより大きい山になるか。もちろん、計算が立ったらやるのみであり、過去にはたくさんの人がそれを成功させている。また、失敗もしている。軽々に行えるものではない。

だからこそ、仕事や会社の方から変化の局面があると楽しいものではある。仕方ないのだから。やれやれ、と言いながら喜々としてあくせく働くのである。だって、自分が望んだわけではないから、無責任に楽しむしかない。局面が変わるとき、うまくやればまたより良い変化がもたらされる。

今、何もしなければ局面が変わらないというならば、それは今はじっと待ち、力を蓄え、新しいチャンスを待つ時だという考え方もある。本当にそういう状況はあるので、頭真っ白で何もしないというよりは、絶えず周りに目を凝らし、社会を俯瞰し、その退屈な時間を、自己研鑽に充てるというのはオーソドックスかつ、堅実な考え方だろうと思う。急いてはことを仕損じる、である。

後は、プライベートで、そのぜいたくな悩みを和らげる。だからこそ私は、ブログなりnoteなりの活動があり、そしてかなり大げさに動いて、一定の成果を得た。これも不思議なもので安定するのだ。仕事上の局面の変化を起こしにくいのでプライベートで局面の変化を試み、そして実行し成功したらまた、安定する。どこまで行っても悩みはつきないのかなと、少し途方に暮れる。

他人から見てると、あの人はせわしないなと感じられるだろう。落ち着きがない。仕方ない、そういう性格なのである。こういうときって、きっと人は、小説・映画・ゲーム・アニメなどのインドアの遊びに興じる、もしくは旅行に行ったり買い物に行ったり節度のあるギャンブルをしたり、スポーツをしたりなどの外のレジャーで、退屈を埋めるという手段もあるだろう。そうやって、ある程度のフィクションを挟みながら、自分の脳を「よしよし」とやるべきなのだろうか。

こうやって列挙していくと、まあ、「ぜいたくな悩み」よね、とセルフ突っ込みしたくなる。しょうがない、これが人生なのである。