orangeitems’s diary

クラウド専任40代後半のインフラエンジニア。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。1日2記事投稿しています(0:00、12:00)。

健やかな組織はつまらない

 

私が楽しいと思える瞬間って、必ずしも平和な組織の中にいるときではなく、不安定で戦慄が走るような状況の方なのかもしれない。

皆が皆をリスペクトし、決して人を傷を付けず、他人に進んで貢献しようとする。マネージャーは全体タスクを把握しメンバーに公平に仕事を分ける。個々は他人に目を配り、人の足りないところを補おうとする。手がまわりそうにないなら、素早くエスカレーションする。

そんな組織に恐らく今属することができていて、とても良い状態だと思う。思うが、多分に私自身は、もっと本気で、高い技術を前提に、時には議論し合うような熱い環境を潜在的には望んでいるような気がする。やや、退屈も感じる。

若かりし頃は、あえて組織を不安定化するべく、レベルの高い課題を掲げて人々と言い争ったような気がするが、もうしない。ささいな失敗でも、組織は簡単に壊れることを経験の中で知った。また、年齢が上がるに従い、初学者と自分とのレベルの差がどんどん開いてしまい、議論にもならなくなった。おそらく私の声が強すぎる。右に行ったら右に行くし左に行ったら左に行くので、これでは組織を振り回しているだけである。そんなこと、わざわざ安定している組織でやるべきではない。それでは害である。面白さ以前の問題だ。

健やかな組織。つまらなさはあるものの、健やかさを安定させるべく自分を律することを求められていると思う。余計なことをしない、言わない。

実のところ、平和な世の中をかき乱したいのは、人間の本能の一つなのではないかと思う。世界でもわけのわからない戦争や内紛が後を絶たない。週刊誌の告発記事も日々飛び交う。ああいうのは、きっと、本能を満たすことに忠実なことの現れである。ネットでは匿名であるばかりに、人々の罵言雑言が飛び交っているではないか。ほとんどの人々が現実では、善良な市民であるにもかかわらず。

会社においても、そんな本能がちらつく場合があり、「ありのままで~」と本能的衝動を推奨するような流行のもとに、組織を不安定にしたくもなる衝動。待て待て。これをコントロールできてこそ、大人であり、立派な社会人であるぞよ、と自分に待ったをかける。

つまらないな、そう思ったときに、心のネジを締めなおす。ここで気を緩めたらいけない。つまらなさは良い事だ。これを継続することで、きっと先にまたチャレンジングな状況がやってきて面白くなる。それまでの休憩であり、刃を研ぐ時間なのだ。子供じみた衝動に自分が飲み込まれてはいけない。退屈だろうが飽きが来てようが、安定した組織基盤があってこその、次の成長、面白ステージなのである。

決して、退屈さ、つまらなさ、倦怠感と言ったもので、組織に不安定を持ち込むようなことをしてはならない。それよりも継続することの方が大事で難しい。今できているのなら、メンバーたちが大人であり、成熟していて素晴らしいいうことだ。そういう組織にこそ次のチャンスがやってくると私は思うし、それを邪魔しない自分でありたいと最近は思っている。