orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

多数決と多様性は相反する

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日本は民主主義と言われています。全国民に選挙権が与えられその結果をもとに国会があり、国会が国の最高機関とされているから、ですね。

国会における決定プロセスの最も象徴的なものが「多数決」だと思います。大雑把に言って賛成が反対を上回れば可決されます。

多数決って、反対意見をバッサリ切り捨てています。反対意見とは少数派の意見です。少数派を切り捨てているにほかなりません。

で、決めるときに意見も聞かずいきなり決済すると、少数派を弾圧していることになってしまうので、意見を表明する機会は与えられます。

どうせ多数派が決済してしまうのに、少数派は大声で、目立つように、威勢よく発言します。なぜなのか。おかしい。多数派はおかしい。少数派だがこちらが正しい。わーわー。

一方で多数派は、最終的には可決されるのでそこまで大声で主張する必要はありません。淡々としておけば良いのです。機械的に少数派の意見を聞くふりだけして、最後に決を採って決めてしまえばいいのです。

だから、多様性を受け入れる社会をと言っておきながら、民主主義の決定プロセスは多数決を基本としているので、少数派は切り捨てられるようになっています。少数派の意見が取り入れられるためには多数派と組むしかないのですが、そうなると少数派は既に少数派じゃないよね、と思います。多数派の徒党のうちの一要素です。

 

一方で、会社は民主主義ではありません。権限を持った人が最終的に責任とともに決済します。ここで部下の意見も聴かず勝手に独裁してしまうマネージャーは、メンバーへの求心力を失い大きな成果を生み出すことができないので、難しい面があります。とかく民主主義の国にいるという意識の強い国民は、自分の意見を聴いてもらえないと思うと拗ねてしまいます。だから1 on 1ミーティングなんて変な文化があるんだろうと思います。でも会社は民主主義じゃないので、多数が決済するシステムではありません。最後はマネージャーが腹を括って決定するようになっています。だから、基本は部下がマネージャーに意見を通すということはあり得ないと思います。意見は言ってもいい。でもそれが採用されるかは知らない。そう思っていないととても苦しい場所になります。

多様性と言ったって、「いたっていいよ」という意味であって、少数派が重んじられ決定プロセスに組み入れられるという意味ではありません。決定プロセスを持つのは会社においては、もっとも会社に利益をもたらしてくれる評価を得られた人です。そこにいろんな価値観を持ち込むことで会社のアウトプットにバラエティーを生み出したいから、いろんな種類の人をマネージャーに登用したい、これが、経済における多様性の重視だと思います。

 

こういう話を書いているのは、現代において多様性というのが、いつの間にか「少数派の重視」みたいな意味にすり替わり、「なんで俺の意見を聞かないんや」という人が一定数いるからです。民主主義も「少数を切り捨てる」という性質のはずが、「すべての人の意見を拾わなければいけない」みたいな意見にすり替わることが多いからです。

少数派として大事なのは、多数決の世界においては多数派工作になるでしょう。味方を増やし自分が大声を上げなくてもその方向に向かう人が増えれば、決済は得られるものです。会社においては、その人に任せればその担当範囲においては会社の利益を最大化してくれるという評価を得ることでしょう。

どちらにしても、今の少数派が取りがちな「私たちは虐げられていて、世界が多様性を承認するにはまだまだ度量がたりない」というような被害者観は私はあまり好みません。そもそもそんな決定プロセスじゃないよね、政治も経済も。少数派は少数派である限り多数から切り捨てられる存在。それより多数派を味方につけ決定プロセスに影響を与えられるようなコミュニケーション能力とスキルを身に着けて行かないと、ワーワー騒いでも無駄だよね、と思います。