orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。

ネットにある大きい声をあえて見ない習慣

 

日本は民主主義の国だから、一番たくさん指示が集まる意見を採用するという建前は強い。だから、ニュースサイトなどを見るとコメントには「いいね」がつけられるようになっていて、「いいね」が多い意見が上に上がるような仕組みは多い。

まるで、「いいね」がたくさん集まると、真実なように見える。

でも、これは違う。大衆は平気で間違える。共感は正しさのエビデンスではない。

どこかで自分の価値観を確立し、何が正しいか自分で判断できるものさしが必要だ。じゃないと、間違った大衆の流れに乗せられ誤った方向に平気で進んでしまう。

私はそれが嫌でブログを始めた。そして、そういったニュースサイトの意見はほとんど見なくなった。見ると影響を受けてしまうからだ。見て参考にしないのではなく、見ない。

社会に出るとわかるが、全然民主的じゃない。社長が独断で決める。部長が独断で決める。課長が独断で決める。結局は裁量は責任によって割り振られる。裁量を持てば多数の人の意見なんて関係ない。私は聞く力があるという首相だって、結局は自分で決めるのである。

まるで、支持の多い意見を知ることで、社会で間違えなくなるような錯覚に大衆は陥っているが、何のことはない、多数が一緒に失敗していくだけである。

しかも、SNS上の「いいね」には何の信頼もない。何らかの多数工作だって成立しうるわけである。運営はそうじゃない、と言うかもしれないが、だいたいのレビューサイトはその点数の妥当性でいつも揉めているではないか。

人の意見は人の意見。そしてそれに重みなどない。大事なのは自分が何を正しいかと言う基準づくりだ。それを言語化できること。意見を聞かれたときに、表明できるときに、より伝えられることが大事だ。それが、多数なのか少数なのかは、誰かが勝手に決めればいい。結果は出すから裁量をくれ、と。

他の人の意見を知ること自体は悪くない。問題はそれに「いいね」の数が絡んでいることだ。中にはいい意見もある。そしてたくさん「いいね」が付いているけど、どう考えてもおかしな意見もある。だから、どんな意見も平等に捉え、自分の意見を確立するための参考にしていくべきである。じゃないと、他人の意見を聞くことそのものを否定してしまうからだ。

昨今は、私は情報発信とコミュニティー作りを強化しているけれど、これは、あらゆるニュースサイトへの反抗でもある。一つ一つ、正しさを積み上げていき、自分の価値観をゆるぎなくかつ、柔軟性の高いものにしたい。たくさんの意見を聞きつつ、どれに重きを置くでもなく、自分主体で物事を考え、それをネットに置いていきたい。

個人でもそんなことが可能な時代は悪くない。もしかしたら、1990年代のインターネット草創期に本当にやりたかったことが、今なら実現可能かもしれない。たくさんの人が、ネットの意見に流されない思考をして、アウトプットすることを期待したい。いいねの数に価値はない、というのが私の意見だ。