インターネットの世界で一番初めに流行したのは、個人ホームページでした。インターネットプロバイダー契約をすると、ほとんどの人がホームページを持てました。FTPでHTMLファイルをアップロードすると、ホームページが出来上がりました。
http://プロバイダーのURL/~orangeitems
みたいな形式でアクセスできたのでした。
HTMLファイルをテキストファイルで手打ちするのは難しくて、かつCSSなども昔はなかったですから、昔のデザインはかなりシンプルなものでした。
そこから、ブログブームが訪れました。ホームページと言われていたメディアはそっくりブログに移ったのではないでしょうか。
そして、Twitterが現れましたが、昔はTwitterはミニブログ、と言われていたのをご存知でしょうか。
2008年04月23日の記念すべきニュースを引用します。
米国のミニブログサービス「Twitter」が日本版サービスを4月23日に公開した。同日11時より、Twitterと提携するデジタルガレージが正式に発表する。
日本語版サイト「Twitter Japan」(http://twitter.jp/)は日本語インターフェースとなっている。本家Twitterサイトでも言語メニューから日本語を選べるようになった。
ミニブログ、と言われても最近の人は「違うよ~」と思うでしょう。それだけ、ブログとTwitterの機能というか、目的は違っているように思います。
私はブログもTwitterも両方やっているのですが、この2つのメディアの目的が違い過ぎて、負荷になりません。少しでも似たような機能であれば競合して負担になるものですが。結果として「ミニブログサービス」という言い方はミスリードです。しかし当時は何を示すかについて表す言葉がそれしか無かったのです。今はTwitterはTwitterであり、それ以上でもそれ以下でもないでしょう。
さて、このブログとTwitterの差が問題です。Twitterって、書くのがとても簡単です。140字以内の制限のため、表現をシンプルにしなければいけません。読む人も楽です。だから簡単にいろんな人々が投稿でき、そしてそれをいろんな人が読める。意見の合う人をフォローしたりフォローされたりと、拡散されやすい。コメントもつきやすい。
この仕組みのおかげで何が起きたかというと、「たくさんの人々がテキスト情報をアウトプットし出した」とうことと、「ブログを止めた」ということの両方だと思っています。
前者は良いことです。スマートフォンで外出しているときにすら、アウトプットできるので、発信することそのものは回数が増えました。
後者は悪いことです。明らかにブログは今下火にあると思います。私が知っているホームページ最盛期と比べても、ブログ最盛期と比べても、下火です。
昔はGoogleで検索しても、個人のブログが出てきたものですが、最近は企業のホームページや、note、qiitaなどの記事が多いです。
一方でTwitterが積み上げる情報は、ビッグデータとして人々の関心や興味を追うにはうってつけの仕組みとなりましたが、ライブラリーにはなりません。140字は短すぎるのです。ですから、TwitterはURLや画像、映像を貼りつけているツイートが過半です。もしくはリツイートやいいねだけして、情報を拡散させることで賛同を表明する。この程度なので、知恵をストックするメディアではありません。
具体的に言えば、何か調べ事をしたいときに、Twitterの過去ログを検索することは誰もしないはずです。
このような、知恵にはならない、ストックとはならない、流れていくだけのフロー。それがTwitterだとすると、この断片を「個人の意見」とするのは大雑把すぎます。意見を発するのであればもっとロジカルであり、ある程度の長文が必要だからです。
結果として2020年、どうもTwitterが勝ちすぎて、意見を発することができるのは大手メディアだけ、という雰囲気が出てきたように思います。かつて個人ホームページやブログが達成したような、個人が発する長い文が無くなってしまった。
引いては、個人がいくらインターネットで長文を置いても、なかなか人目に触れにくくなり、個人が発信することのできるメディアとしての価値が低下してしまったな、という評価です。また、それを感じてTwitterなどで代用する人が多くなってしまった、しかしそれは代用ではなく、裁断して捨てつつ欲求だけを解消しているのではないか、と思います。
したがって、個人の素晴らしい意見が発表される場が減少してしまった。ブログが復活すべきなのかどうかはわかりませんが、インターネットは今寂しい方向に向かっていると思っています。