orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

こんなにプログラミング環境が整っているのに、成果物が出てこない

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面白いなぁと思うのはですね、1995年ごろ、Windows 95が出たあたりは、プログラミングって贅沢な遊びだったんですよ。開発環境を手に入れるためには30万くらいするパソコンを買った上で、その上コンパイラを買う必要がありましたがそれも10万くらいする代物で。Visual C++とかが現役だったんですけど学生には全然手が届きませんでした。ExcelにVBA、つまりVisual Basicがついていたので、子供のときにやっていたBasicの知識が役に立って遊んだくらいです。

今はどうでしょう。開発環境なんてタダ同然で、どの言語ベンダーも自言語のシェアを増やしたくていろいろ工夫していますよね。本屋に行けば入門書もたくさんあるし、インターネットにも技術資料がたくさん落ちています。

ところが、個人が作成した成果物を手に入れる機会が本当になくなりました。いっぱい成果物を個人は作っていると想像できるのに、手に入るものは企業のものばかりです。

なぜ1995年から2000年あたりのインターネットに希望があったかというと、個人が皆ホームページを持ち、注目を浴びることができたからです。今でも使われているようなフリーウェアはこの時代の産物だったりもします。

機械も非力で、インターネットも細かったのに、当時は個人が入り乱れて、玉石混合さまざまなアプリケーションが日々公開され、それを楽しむ日々でした。

今の時代のインターネットに足りないのは、個人が完全に隠れてしまい、よいコンテンツを生み出したとしても披露する場所がないからかもしれません。

もしくは、アプリケーション開発環境があっても、もう出来合いのものがあって、作るものもないよということかもしれません。

最近はデータの時代と言われますが、どんなによいアプリケーションを作ってもデータが空っぽでは機能しないことがあるのかもしれません。そういう意味ではもうアプリケーションの時代ではなく、データの時代はすでに到来してしまったのでしょうか。

このブログも個人の成果物とは言えますが、同様に個人がバンバンコンテンツを作り、たくさんの優秀な作品が乱れ飛び、一夜にして個人が目立てるような、そんなプラットフォームがインターネット上なのか、それとも違うのかわかりませんが、必要になっているようにも思えます。

まぁ、インターネットに公開するのって、最近は炎上もしやすい土壌もあり、またコンプライアンスの観点から表現にもかなり気をつけなければ行けない状況で、個人ががんじがらめになっている可能性もありますよね。過去の時代、相当に自由だったので枠を外れた奇抜な作品が出た一方で、社会問題化するような出来事もありました。いろいろな調整とルール設定を経て今にいたりますが、あのときの状況を取り戻せはしないものかと思います。

国も教育にプログラミングを取り入れたりして、プログラムはこれからも無数に作られていくと思うのですが、これだけ成果物が世に出にくくなっている状況だと、古典や漢文のように受験だけやり過ごすような知識になる可能性も秘めているなと感じます。

もっと、インターネットは楽しくあればいいなと思うのですが。なんとなくSNS(特に海外発)によって個人の表現が型にはめられてしまったような気がしてなりません。