orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

人に読まれる作品を作りたいという欲求へのアンチテーゼ

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アンチテーゼ、なんて難しい言葉を使うのは生まれて初めてかもしれないですが、この言葉がしっくりきました。Wikipediaによると、「ある理論・主張を否定するために提出される反対の理論・主張」だそうです。

今回で言えば、「人に読まれる作品を作りたい欲求」に対して、そんなこと欲してもしようがないよね、という理論や主張を今から行うということの前振りとなります。

クリエイターに取って、作ったものがたくさんの人の目に触れてほしいというのは根源的な欲求なのかもしれなくて、そうならないことに苦しんでいる人はたくさんいるのではないか、と思います。

私のこのブログ一つとっても、読まれた記事と普通の記事のアクセス数は多分100倍くらいあります。なぜそんな差が生まれるのかは書いているときにはあまりわかりません。公開してみて結果的にそうなるのですが、再現性がないのです。でも読まれているときは気分はいいですよね。その過去体験が幻影となり、読まれないときは苦しむのです。

おそらくこの感じは、私のような市井ブロガーだけではなく、音楽家とか、漫画家とか、番組制作者とか、いわゆるクリエイターの人は誰でも経験しているのではないかな、と想像します。仕事でこれをするというのは、人生そのものがこの枠組みとなるわけで、その苦労は大変なものでしょう。

さて、私の場合は副業というか本業の片手間にやっているので、多少は客観的にこの現象を考察できます。

記事が「当たった」とします。最近の言葉ではバズるというのでしょうか。この期間はどれぐらいだと思いますか。私の体感的には24時間です。もっと言えば、人は寝ると一気に忘れる傾向にあります。目に触れるタイミングによって時間差はあるのですが、24時間以内には必ず人は寝るので、ピークは短期的に収束します。

もっと簡単な言葉で言えば、コンテンツが消費されるスピードは一日だということです。

すごく努力して言葉をひねりだして、優れた作品ができたとしても、寿命が短すぎる。

刹那的な瞬間のために、血のにじむような努力をするのは、どうにもコストパフォーマンスが悪すぎると思うのです。

それより、あまり高みを目指さず、川が流れるように淡々と生み出し続けることのほうがよっぽど効果的なのではないかと思い始めています。

最近はトレンド、世の中で何が人々の注目を浴びているかについて、SNSによって見える化されるようになりました。そのトレンドワードに、たくさんの人が飛びつきます。まるで大喜利のように、お題に対して多くの人が挑戦し、バズろうと必死です。YouTubeにもたくさん変なムービーが上がるようになりましたよね。

競争相手がたくさんいる割に、その消費スピードが速すぎて短命。このサイクルに飛び込んであれこれ悩むのは良くない、ということです。

 

それに対して、今クリエイターがやるべきは、自分のコンテンツそのものを好んでくれるファンを一人でも増やすこと。もし、ファンがつけばコンテンツは確実に見てくれます。作成したものに対して、必ず消費されるという再現性が生まれる。ファンの数だけその威力は増幅します。

世の中でバズるほどの爆発力はないですが、最低限のアクセスの数が底上げされるので、作るコンテンツの量に確実に比例するというメリットがあります。

10000個作って1個売れるような心構えより、100個作って100個安定して売れるようなやり方の方が、確実に作成物が報われる、ということです。

しかし、前者の方に軸足を置いて、絶望してクリエイターを辞める人は後を絶ちません。1度バズりを経験し、それを継続していかなければいけない呪いにかかり、何も作れなくなる人もいます。

テレビ取材を断る飲食店ってありますよね。テレビに出たらたくさん客が入るのに何で取材拒否なのか。それは、一時的に混雑すると、常連の方が敬遠するようになり、ブームが終わると結果的に誰も来なくなるから、だそうです。これも同様の理論だと思います。バズらなくていい。ファンを大切にする。ファンのためにコツコツ作品を作り続ける。一方で、ファンを裏切るような品質のものは絶対に出さない。この信頼関係を積み重ね続けることが、重要なのではないかと思います。

 

ファンを集める上でどういうものを作っていくべきか。

自分しかできないもの、かつ作り続けられるもの。正直であること。誠実であること。作ること自体が自分自身の楽しみであること。

その上でそれに対するファンを増やすことで、無理のない創作活動ができるのではないか、と思います。