orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。1日2記事投稿しています(0:00、12:00)。

YouTubeでもブログでも、毎日作り続けられる人の特徴

 

私個人で自由に書けるブログなので、本来は何を書いてもいいはずなんだけど、やっぱり閲覧数と記事の相関関係を見ながら、反応のいい話題を選びがちになる。読まれないと書くモチベーションも削がれるから。読まれてこそ書く意味はあり。

読まれるためになら、ウソでも何でもいいとは思っていない。どこか、自分の中にあるものを探し出して、本当のことを書いていたい。そうじゃないと心が病むよね。自分と違う人を演じさせられて、続けられなくなる芸能人って山のようにいるでしょう。そうはならないためには、自己同一性って大事よね。外に見えている自分が時間とともに肥大化する。そして生きていくためにフィクションを含ませる。見栄を張るとも言うし、「こうありたい」と「こうである」に差がありすぎて、心がついていけないとも言う。

で、まぁ40代後半だし、今さら「こうありたい自分」に夢を持つなんてあまりなくて、「こうである自分」のこともよくわかっているので、思っていることしか書いていない。何を自分はこんなに毎日毎日大量にものを言っているんだろうか、ということを書いている。なぜ書けるのか。私は何を伝え足りないと思っているのか。

それはきっと、昔の昭和の時代なら、きっと飲み屋で部下に、いろいろこうしたほうがいいよ、ああしたほうがいいよ、なんて話してたことなんじゃないかな、と思う。だって、社会人もね、25年やったらいろいろ経験しているし、明らかにこうでしょということはたくさんあるよ。あるんだけど、今の職場ってどう?。コンプラ強めで、あんまり無責任にどうこう言うと、足元救われそうな環境じゃないかな。

一方で、ネットを見ると、いろんな悩みが飛び交っているでしょう。しかも、たくさんのことが私は経験済みだったりして。それな、こうこうだから心配せんでええよ、とも言いたいわけだけど、ネットに対して返信するわけにも行かずね。

だから、ブログ作って、毎日こねこね書いているんだけど、どうもやっぱり需要があってびっくりして、それならってことでこんなに頻繁に書くようになった。書いている内容が本当かウソかということは、こんなに一人で書けているってことはウソじゃないんだなっていう証明にはなっていると思う。だって、このペースでウソを言い続けられるとしたら、それはそれで才能だとは思うんだけど、そういうのはAIにでもやらせとけばいい。でも、AIには自己同一性のようなものがないので、きっとそれがこのブログの持ち味何だと思う。同じ人が、自己同一性を持ってつらつら書いているということ自体が。

したがって、ブログを大量に書き続けていられるにはいくつかの条件がある。

・ブログで書いていることと「こうである自分」が一致している。

・何が世間に読まれたいかを知り、それに近づける努力をしている。

・書きたいことを表現する場所に困っていて、それがこのブログであった。

それぞれの条件が叶い、そして運営し続けられているということだ。

 

だから、今大量にYouTuberが辞めていっていることについて、収益性が下がったからという理由付けがよくされているがそうじゃないと思っている。どうすれば、見られ続けるかということに対して、やりたいことが尽きてしまったんだと思う。更に新しい策を行うためには、「こうすべき自分」の方に近づかなければならず、無理にそれをやった人たちが自己同一性を毀損し心が病んでしまった。本当の自分を取り戻すためには、YouTubeというプラットフォームに留まっていてはいけないという結論にたどり着いてしまう人が多いのでは、と思っている。バズるために色々やっていたけど結果が出ず、そして自分たちは何をやりたいんだったけ・・・となる現象。

だから、やはり毎日コンテンツを作り続けるということは、一方で自分自身が生きて何かを得る、ということをパラレルに実行しないと成り立たない。フィクションを無限に思いつき続けるなんて無謀だ。小説家や漫画家はどうしているか。きっとフィクションに乗せて「こうである自分」を表現しているに過ぎない。自分の中が空っぽなのに、どうして継続できようか。自分を満たしていく経験を得てこその、日々のアウトプットである。

年末年始で、きっと新しく、YouTubeやブログ、はたまた違う形で創作に挑戦される方もいらっしゃると思う。その場限りで終わる趣味じゃなく、ずっと続けられるために、何かを作っていくというのは、自己表現であるということについて強調しておきたい。であればそれを続けるためには、今までどう生きてきたかの蓄積がコンテンツのストックとなる。そしてどう生きるか、というのが時間経過とともに課題となってくるのである。