orangeitems’s diary

クラウドで働くインフラエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

集まる意味って何だっけ

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無限な暇が苦しめるステイホーム

もう5月も終わり。3月のころ今後どうなるんだろうと言う状態だったけど、時間というのは無慈悲に過ぎていくんだなという感想しかありません。政府が国民が外国がうまくやろうがやるまいが、時間だけは過ぎていき、拾われるものもあれば捨てられるものもあります。どうなろうと時間というのは平等に過ぎ、たくさんの現象が同時に発生しつつ、ニュースやSNSに出てくる情報はほんのひとかけらのように思います。

一つだけ言えるのは、自粛が明けるまで、たくさんの人が「暇」だった。暇はいいことかと思いきや、何の責任も義務も目的もないその時間は、苦痛であることを皆が知りました。日本国憲法に労働は義務と書いていることもあり、労働は基本的に頭から降ってくるものなので、何も考えなくても目的を自然と与えられ、生きることの対価として与えられる時間には、漏れなく目的が与えられました。ゲームで言えばミッションやクエストと言われるもので、何にも与えられないとゲームを放り出しちゃいますよね。そういえば、あつまれどうぶつの森、まだやってます?。最近インしないこともあるのでは?。あのゲーム、しばらくやると目的が無くなりやることが無くなり街を保守するだけの日々に陥り止めていくんですよね。話は逸れましたが、労働は義務という前置きは結構人間が発展していくうえで有用でした。

とりあえず、ステイホームでも仕事はまわさなければいけない、ということでテレワークを2か月やってみて、会社へ行く定期券も解約し、まあほとんど自宅に居て生活するといろいろ悟りましたよ。悟ったついでに発見したことをまとめておきます。

 

集まる意味

オフィスに通ってたころ。

結局私の仕事の仕方って、オフィスでテレワークをしてたようなものでした。

人との会話より、チャットや課題管理システムでのコミュニケーションが主でした。ビジネスもほとんどがクラウドで動かしていました。飲み会をやりたいタイプではないので、おつきあいの飲み会(忘年会など)以外はオフィスと自宅を往復する毎日でした。だから、オフィスに通う=親睦が深まる、なんていう付加価値はもともとありませんでしたね。

したがって、テレワークにすることで変わったのって、ビデオ会議を導入したことくらいです。画面共有がすごく便利で、オフィスにいるときは直接画面を見に行ってたのですがそれよりも自席で見られるのでよっぽど便利になりました。音声でのコミュニケーションも同時にできるのでデメリットは見当たらず。

こうやって、テレワークでは本格的な仕事は無理な面もあるのかな、と当初思っていたことはどんどん打ち消されていき、ふと考えることは、集まる意味って何なのかなということです。

集まる意味なんて考えずとも、オフィスに通い仕事して家に帰るというのは生活様式として成立していました。

そういうもんだから、そうするんです、と。

でも、今、急速に社会は元に戻ろうという試みというか社会実験をやっていますが、相当にリスク高いですよね。3月と何が変わったかって、気候が夏に向かっていることと、社会の人々が感染症に対する知識を身に着けたこと、そしてマスクが手に入るようになったこと、です。全然違うかというと私は悲観的で、マスクは暑くなると誰も付けなくなります。そして、油断している人を中心にまた、市中感染が増えていきます。新型コロナに対する特効薬やワクチンはまだ出ていない。そんな状況で、ステップ1とか2とか、おかしな話だなと思います。

テレワークで物事が済む状況において、オフィスに集まることって、リターンよりリスクのほうが現段階では勝っています。テレワークでは仕事がまわらないというならともかく。

いや、集まることで信頼関係が醸成されるでしょ、という意見が根強いこともわかるのですが、私が醸成した信頼関係って、仕事という共通目的を品質良くチームで仕上げることによってできてきたものだったんですよね。別に飲みに行ったから仲良くなったというのは全く違う。だから、リアルでもリモートでも、品質良く仕事をし、しかもビデオ会議でコミュニケーションできている現状だと、信頼関係は損なわれないし育てることすらできるなと感じています。

話を戻せば、私はオフィスに通って、テレワークを行っていたんです。だから、家でテレワークすることで失うことが少なかった。

どんどんテレワークの懸念点を実績で引き算していくと、おいおい、後何を潰せば、テレワークを否定できるんだい?というところまで行きついてしまったなというところです。

さて、テレワークを持ち上げるのは良いのですが、もう一つ、ポイントがあります。自宅の環境面です。一つ今日、記事を読みました。

 

news.yahoo.co.jp

 家に居場所がなく、寄り道して帰るのが楽しみな「フラリーマン」です。自宅で仕事をするなんて、つらいご時世になったと思いますよ。主導権は妻に握られ、大学生と高校生の娘が中心の生活。会話も弾まず、肩身は狭いです。

 娘たちは休校中だし、妻の習い事も休みなので、家の人口密度が高いんです。自分の部屋もありません。リビングで資料作りをしていたら「テレビ見るから」と、女性陣の邪魔そうな視線。すごすごと退散しました。

 仕方なく屋外用の机と椅子を買ってベランダで仕事をしています。爽やかな風が吹くので案外悪くありません。自粛モードで仕事自体が減っているので、幸い忙しくもないですし。

 家に比べて会社は快適ですよ。郵便物の仕分けや来客対応をする週1回の「出社当番」が癒やしです。周りの50代も似たようなもので、出番を募ると我先に手が挙がる。情けないですよね。

 

私も実はリビングに長いこと机を置いて仕事をしていましたが、先日、専用の部屋を作りました。オフィスと家を往復する私には専用の部屋なんていらないと思っていたのですが、こんなにテレワークするのなら必要と言うことで無理やり家を改造して。

仕事をする人が、家庭において居場所を作ったら家族が迷惑します。仕事をするときは、会社人のパーソナリティーをまとって存在しなければいけない。それがリビングの真ん中に居ようものなら、周りに威圧感を与えます。いや、パソコンさわってるだけだから。WEB会議も数十分だから。でも、そこにいるだけで、迫力は十分です。仕事でお金もらって生活してるんだから、しょうがないでしょ。そうです。だから家族は気を遣うんです。それを長時間やられたら家族は疲弊します。

だから、家で仕事をやる人は、できるだけ「封印」しなければいけない。

よくアニメやゲームなどで、力が強大すぎるので、洞窟の奥深くで何百年も閉じ込めておくっていう設定がありますよね?。まさにそれです。

上記の記事では、悲哀をこめてベランダへとありますが、いやいや、コンセプトは正しい。ただ、ベランダでWEB会議したら秘密情報が外にダダ洩れですね。どう考えても専用の個室に閉じ込めなければいけないと思います。

一方で、封印される方は全力で封印される必要があり、部屋の設備には全力で投資したほうがいいです。パソコンを買う、机や椅子などの家具を買う。インテリアにこだわる。湿気が多いなら除湿器を買う。大きいディスプレイを買う。スピーカーにこだわりストリーミングサービスを使ってBGMをかける。部屋を明るくするために証明を買う。

暗くてじめじめした洞窟のような場所に長く封印されると、病みます。それこそどうぶつの森の自分の部屋のように、こだわりが必要です。

 

リモートワーカーへの待遇

まあ、そうやって、自宅を強化し、リモートでもオフィスで仕事をすることと遜色なくなってくると、そういう努力に対して待遇をどうするかというところに行きつきます。光回線も設備も電気代も会社はタダ乗りなのか。これも記事を読みました。

 

portalshit.net

 

まあ、全然企業側も突然始まったので対応できてないのは当然です。ただ、今後、この新型コロナの状況が長期化することを先読みした企業が、続々と、テレワークでも成果を出す社員に対する見直しを行ってくるでしょう。

リモートワーカーが田舎で生活することを選んだ時、固定費が減るので都会にいる社員より優遇される、みたいな議論がありますが、ここには異論があります。社員は自分の収入以上に会社に利益をもたらしているならば、給料なんていくら払っても良いと私は思っています。年収二千万でも会社の利益を一億円生み出している、なんて場合も存在します。その人に年収三千万上げたら会社の利益が二億円になるかもしれません。そうやって、人件費は固定費として考えるのではなく、利益の源泉として考えるべきだと思っています。知的集約型のビジネスってそういうものでしょう?。

もちろん、労働集約型ビジネスであれば、品質が保たれる限り人件費なんて安ければ安いほどいいというのは合意しますが、IT業界でそんな商売はしたくない、と思って、SES等の時間精算型はよろしくないと思っています。

ということで、リモートワーカーだろうとオフィスワーカーだろうと、待遇は会社にもたらす利益を見ながら中長期的な期待を含め、決めて行ったらいいと思います。もらった収入をどう使おうが、個人の自由の範疇ではないでしょうか。

 

ほんと、集まる意味って何だろうな、って。

まあ、自宅に私を封印する環境を作るのも大変なので、仕事に特化したオフィスという物理的な環境は、「リスクさえなければ」いいかもな、ぐらいの結論です。

「リスクさえなければ」・・か、遠いな。遠い。

私の心は、ステップ-20ぐらいのところにいます。