orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

他人へのアドバイスのほとんどが役に立たない理由

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アドバイスの定義

もうすぐこのブログも開設して1年が経過しようとしている。

いろいろな記事を書いて、そしていろんな記事を読んで思ったことがある。

アドバイスというものは、強きものが弱きものに向かって、「なぜこうしないのか、こうすれば強くなれるのに」、という類の物である。

強きものは、いかに強くなったかのプロセスを知っていて、自信を持っている。だから弱きものに向かって、意気揚々となぜこのプロセスを行わないのかと投げかける。私ができたのだからあなたもできるだろう。なぜやらないのかはあなたの弱さだと。

例えば、業績の良くない会社にたまたま務めていて、待遇もそれに連れて劣悪であり、悩んでいる人に、「なぜ転職しないのか」と薦める。これは毎日ネットで行われているやり取りである。そして強きものは、転職できないのは日々の勉強不足だと論じる。

しかし、今弱きもの全員が、転職によってみな幸せになれるわけではない。そこには運もあり、個人の素養や、住んでいる土地の地域性、仕事内容の特殊性、社会の景気や季節性などいろいろな要素が絡む。特に個人の素養の部分は非常に大きい。同じ人間など一人もいないわけで、同じプロセスが同じく通用するはずもない。

強きものは、強きものと意気投合し、なぜ弱きものはこういうプロセスを行わないのかと発信する。弱きものは強きものにあこがれ、啓蒙的な本やネット記事が人気となる。しかし、そんなことで全員が強きものになれるはずがない。そもそも全員に当てはまるプロセスなどあるはずがないのはちょっと考えればわかることだ。冷静に考えれば、強きものは、自分の特性に合わせて、こういうプロセスを採用したらたまたまうまくいった。ぐらいに留めるべきだろう。ところが、宣教師のように強きものはあまたの弱きものに情報発信するのが世の常となっている。現経営者や元経営者、タレント、コンサル、例を挙げれば指の数が足りない。彼ら自身は敵対関係でもない。それぞれをウィンウィンのルールのもと持ち上げ、称え合う。勝ち組、という言葉は良く言ったもので、組なのだ。チームなのだ。大きなヘマさえしない限り彼らは助け合う。強きものは強きものと集うことでいよいよその強さを増していく。ネットの強きものを注目してほしい。絶対に、強き別の誰かと対談をしたり何らかの事業を行ったり、一緒に本を書いたり対談したりしている。

 

自分に置き換えて

この状況をわきまえて、自分の身の回りでも、ネットでも発言をしなければいけない。

絶対的なアドバイスなど、ない。自分のケースではこうすればうまくいった。それは自分がこういう性質やバックボーンを持ち、かつ運よく外部環境がこうだったので、良かった。しかしあなたの場合にそれがうまくいくとは限らないから、最終的には自分で考えて判断してほしい。

アドバイスは、この範囲を超えてはいけないのだろうと今は思う。世の中にはいろいろな啓蒙本にあふれているし、ライフハック的な記事ばかりだ。しかしその表現が過激であればあるほど、それは賛成派と反対派を生み、いわゆる炎上を生み出してしまう。このブログの反応一つとっても、感謝されることもあれば強く非難されることもある。同じ記事なのにである。これこそ、すべてに当てはまるアドバイスなどない証明であり日々痛感している。しかし、反対派がいるとして、「いや、あなたはおかしい」と反論するのもそもそもズレている。ある意見に対して当てはまらなかった人がいて、その人が「一般化するんじゃねえ」というのはごもっともな話である。ここ最近は、強きものが「バカは相手にするな」という趣旨の意見を打ち上げて話題になっている。これは、まさに全員に当てはまると言わんばかりの強気な発言に対する、当てはまらない部分は対応するのではなく切り捨てた方がコストがかからないということを凝縮した話なのだろうと思う。強きものは弱きもののなかで賛同する勢力とウィンウィンの関係を築くのが目的である。これは個人的な推測だけれども、当てはまらない場合のほうがよっぽど多いのではないか。これだけ多種多様な人がいて、単純化した何らかのメソッドが画一的に当てはまってしまうわけがない。あなたの身の回りにも、身近に人間がいると思うが、どれだけ自分の意見を受け入れる人がいるか。私は指の数が足りるぐらいしかいない。自分の周りの人間ですらそうなのに、なぜ1億強の日本人を前にして、「こうすれば、こうなる!」というアドバイスが役に立つと思うのか。マスに対して意見をするということは、当てはまらない巨大な群を目の当たりにすることになる。それでもブレなく発言することで、一定の信頼する層も手にする。そういうことなのだろうと思う。

 

日々気を付けること

ブログを1年ほど運営してきて、思いのほか世間の目に触れることがわかってきた。今、特に気を遣っているのは、個人的な意見と、他の記事の主張を明確にしなければいけないということ。そして個人的な意見の中に「なぜ、あなたはこうしないのか」的なニュアンスは絶対に入れないこと。「私はこうしたほうがうまくいくと思う」ぐらいに留めないといけないし、それでも反対意見はある。そして反対意見については、そういった意見があるのかと冷静に受け止めつつ、反論を打ち返してはいけない。反論はあって当たり前だと思うしそれもネットのいいところだと思う。賛成意見・反対意見が出尽くせば最後は沈静化していく。それで十分だと思う。

最近は、自分はそう思っている。世界中の誰もがそうは思わないかもしれないが、私だけはそう思っている。私は私の思うことを信じる権利がある。それぐらい思い切って個人の意見を置いている。思いのほか賛同意見を頂くと非常にうれしかったりする。でもそれはご褒美であって、みんなこうすればうまくいくのに、というニュアンスは入れないようにしているし、過去私の記事でそういう表現があるとすれば成長途上で未熟だったと思う。少なくとも、私の身の回りの少数の人間に対して、その人に合ったアドバイスをするだけでも相当に大変な作業だし、よもや不特定多数のネットに対してアドバイスをするなど、ほとんどが役に立たないと思ってかからないといけないと思う。それぐらい、個人の問題に対する解決プロセスは、人によりけりで単純化できない。元任天堂社長の故岩田氏が、部下に対して全員に面談していたのは有名な話だが、まさにこの状況を熟知した上の行動なのだろうと思う。