orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

手順書を書かせたら、いかによくわかっていないかわかる件

 

部下がどんなに成長したなと買いかぶってみても、私に確認依頼のあった手順書を見ていると、ああ、まだまだだな(っていうか全然ダメだ)と痛感した次第。きっつい手順書(的なもの)を手にして、わなわなしている自分がいる。

手順書には一つの無駄もあってはならない。そして一つの不足もあってはならない。この目的を達成するためには、こういうプロセスを踏んでいく必要がある、という流れがわかり、それらを順番にこなしていることが記載されている必要がある。

今ここにある手順書は、過去の手順書を組み合わせて手順書風にはしてあるが、まずは上から下までの流れがおかしい。わかっていないところに手を付けていないからなのか、なぜその作業を実施するのかについて、書き手が意味がわかっていない。意味がわかっていないものに注釈をつけてあるから意味が通らない。支離滅裂である。

全体を見てもそれぞれのプロセスの流れがおかしいし、一個一個の手順にある注釈もおかしい。また、こうなるはずだ、みたいな記載も、事前に情報採取していればいいものを、どこかのうまく行った手順を貼り付けているからなのか、架空の情報が書いてある。そんなの事前に作業して、情報採取すればいいだけなのに。

ああ、わからん人がわからんを仕事にして、そして理解もできずわからんまま手順書作れのルールだけ守って仕上げるとこんな奇抜なものができるんだ、という手順書が私に流れてきて絶望を感じた。

このまるでダメな手順書を作るときにどうにかできないものか。このコマンドの意味は何ですか、そもそもどういうプロセスで目的を達成されるんですか。一つ一つのプロセスの意味を教えてください。その手順はどんな意味ですか。諸々、質問できるタイミングがあるはずなのに、どうしてすっ飛ばして「手順書できました(できてません)」なのか。

まあそれでも、不完全なものをあっけらかんと私に提示してくる時点で平和というか、突っ込みまくれる隙があるだけまだマシである。うまく隠蔽して手順書の確認すら私に依頼せず、作業に突っ走って失敗する、ということが起きないだけヨシとした。

わからん人が作ったものは、ほんとうにホラーみたいな手順書になっていて、手順書にわからんと書けたらどれだけ楽かという気持ちがこもっている。走ると注釈に書いてあるのに、コマンドは見る、だったりするのでもうぐちゃぐちゃだ。彼らはどれだけこの手順の作成に時間をかけたのだろう。

一方で、この手順書を始めから私が作って彼らに渡したらどうか。

彼らは楽だろう。上から順番に実行していけばいいから。でも、きっと彼らの頭は作業後も空っぽだ。こうやってこうやって終わり。そして記憶から消えていく。そんな楽なことばかりさせていたら、彼らは「わからんちん」なのに、技術者ぶっていくっていうんだから、やっぱり無駄じゃないとは思う。わからないことを認識させるために手順書は、書かせないといけない。書けない自分を認識してもらい、反省させないといけない。

難しいことは全部やってあげるよ、そんな過保護な対応を部下にずっとやっていたら、彼らは「難しいこと」に未来に溺れる。きっと過保護な方が私は楽なのだが、残酷なことをしているのかもしれない。旅をさせないといけないと思う次第である。