orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。

他人にアドバイスしたって、役に立たないのではないか

 

誰かに相談を持ち掛けられたとする。

人に相談するくらいなので、結構難しめなことだと思う。簡単なら相談しないだろう。

そうしたら、どうするか。

「こうしたらいいんじゃない?」

「きっと、ああすべきだ」

みたいなソリューション的回答をする人はいる。

けど、最近思うのが、他人がこの手のアドバイスをしても、ちっとも役に立たないのではないか、ということ。

だって、その問題を解くのは、自分じゃないから。アドバイスを聴いた相手である。

(もし自分だったら)「こうする」というのが回答の筋だと思う。でも、相手は自分じゃないのである。

どこまで、相手のことがわかっている?。わかっていると思う?。わかっていると思っている相手を、どれくらいわかっているかは、きっとわからない。どんな関係でも。

なぜかというと、自分が持っている相手の情報量なんて、絶対量の何十分の一、何百分の一だからである。それぐらい、相手のことなんてわかってない。そして、自分は自分の情報を自分の中にたくさん持っているのである。

だから、人に相談するとき、きっとほとんどの人が、参考程度にしか聞いてない。完全に相手に任せっきりで自分は何も考えず相手の言う通り従う人がいたら、改めたほうがいい。相手は、自分の情報について、一部しか知らないか歪んで知ってしまっている。そこでの判断なんて、まるで正確性はない。

じゃあ、意味がないなら、相談をするな、受けるなということか。

それは違う。

相談事・悩み事を話すとき、聴き手はずっと聴いてやればいいんじゃないか、ということだ。そしたらどうなるかって、悩み主から、どんどん情報があふれてくるのだ。

あふれて来たこの情報を、また悩み主が自分で考えて、自分で整理していく。

とにかく相談を受けた側は、解決しようとせず、とにかく聴いてあげること。相談主がものすごいたくさんの情報を持っているんだから、下手に手出しするだけ、無駄なんだと最近思う。

例え、話の流れでアドバイスするとしても、「私の意見だけど」は欠かせない。きっと間違ってる。なぜなら、悩み主のことを全部知ることは無理だから。今まで聴いた情報だけで類推するとこうかな、ぐらいの客観的発言をするのがとても良い。聴いた情報の外側で話を作ることほど、無駄なことはない。

よく「傾聴」と言う言葉は耳にする。でも、何の意味もなく聴いたって、それも意味をなさない。相手の問題を解決するために一番してあげられるのは、相手が自分で問題を解決できるために、情報を引き出してあげて、本人にフィードバックしてあげることである。こちらが妄想でアドバイスしたところで、それは私だったらそうできるけど、悩み主はきっとそうはできないのだ。だったら、言うだけ無理だろう。やっぱり聴くだけで十分なのだ。

私もブログではこれだけたくさんの文字で、何か難しい問題への答えを表現しようとするけど、誰かから悩みを聴いたりするときは、論は立てない。だって、やっぱり、きっと悩み主が一番解決のための情報を駆使できるんだもの。だったらこっちができることは聴いてあげるだけ。聴く限りはこうだよ。でも対応するのはあなただものね、って姿勢で。

こういう結論に達したのは、いろんな悩みをきくことが最近多いけど、誰も私に解決してほしいという感じではないから。ああ、私が聴くことが大事で、それ以上はないんだな、と強く確信するに至った。

やっぱり他人へのアドバイスって、役に立たないんだよ、きっと。