orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

偏りをたくさんサンプリングすることで、公正のポイントがわかる←わかる

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その通り。140字で済ませられる議論などない。

よくわかるなあ、という記事に出会いました。

 

blogos.com

荻上:読むのも書くのも140文字だけで済まさないほうがいいとは思います。大学生でも、論文を書く訓練をさせられると、2,000字、4,000字、6,000字…と、長文を書く経験をしますよね。

そうやって書いていくと、このテーマを扱うには○○文字じゃ足りないというのがなんとなくわかってくる。そうやって、必要な議論と、議論に必要なコストっていうものを感覚で計算できるようになることが高等教育の一つの役割だと思うんです。

(中略)

また、議論をするのであれば、たくさんの人が無意識のうちに思いつくような俗説をそのままつぶやくのではなく、その場で一歩立ち止まって熟考したり、そのために何かしらの原典みたいなものに触れたりしたほうがいい。一回触れるとそれは身体にたまっていくので、本当は継続してほしいとは思うんですけどね。

 

ブログを毎日書き続けて思うこと

ブログを始めたころは相当楽でした。思いつくまま書いてアップしてました。PVも相当少なかったし読む人などいないと開き直ってどんどん書いてました。そのころは、記事のネタが尽きる予感も全くなかったので、書いたらアップ、を繰り返していました。そこから10か月ほど経過し、今は一日一記事を鉄則として記入し続けているのですが、今や記事が記事であるための最低ラインというものが自分で決まってきて、それが日々上昇してきています。スカスカの記事が書けない。これは毎日記事を書くトレーニングをしてきて、だんだん最低限でもこれだけの裏を取らないと物事を言えない、という感覚が育ってきたのだと思います。これは上記の萩上氏の「感覚で計算できるようになる」ということそのものだと思います。

しかも、面白いことに記事を書くときに、説得力を増すために関連記事を探すのですがその中で自分の認知から外れる情報に当たることがあります。このイベントが発生すると記事としては俄然面白くなります。筆が乗る、というのでしょうか、自分の興味から始まってそこから新しい知が生まれるというのはかなり刺激的ですし、読み手の「へえ」も得られて一挙両得です。

そして、この経験を毎日行うことで、仕事や私生活も豊かなものになります。何か物事を訴えるとき、説明するとき、日々行っているこのブログ書きのプロセスをそのまま踏みます。いきなり140字で物事を表現するより前に、言いたいことを肉付けする根拠があるか、それは1つじゃなくて複数なのか、すべてのサンプルが同じ方向を向いているか、苦しくても毎日ブログを書き続けることで養われる能力であることは断言できます。

これは、クローズドな日記やSNSとは違うでしょうか。違います。ブログだと誰もが閲覧できるので、下手な記事を打つと炎上します。炎上とまではいかなくても、反論やネガティブな反応があります。私はこれを読むようにしています。もちろん、ちゃんと読まれていないから誤解が生じている結果である場合もありますが、逆に言えばわかりにくいのかもしれません。どうしてもSNSなどでは自分の意見と同じ人ばかりにフォローされるので、反論を目にする機会が失われてしまうと思います。

一方で、自分のブログが偏っていないかと言われると、かなり偏っていると思います。どこまでいっても、インフラエンジニアの個人の見解です。個人の見解をどんどん書き連ねていくとかなり偏ったメディアです。私が公正でいようとしても、それは偏っています。大事なのは偏らないことではなく、すべてが偏っている前提で、多くの意見に触れることだと思います。このブログは、多数の記事(はてなブックマーク等で紹介されている記事)の私の反応の結果です。多数の記事を見ていると、どれもこれも偏っていると思います。大事なのは偏りにたくさん触れ、自分なりのものさしを作ることだと思います。私のブログを世の中の偏りの一つとして受け取っていただくとともに、多数の意見に触れ、様々な意見が形成されていけば、よりよいインターネットにつながっていくのではと思います。少なくともそれは140字で表現でできるはずはありません。

 

論じるのは難しいけれど

こう書くと、ブログをまだ始めていない方は、難しいかもと身構えてしまうかもしれません。しかし、これは日々続けた結果の境地なので、始めるのは簡単です。

ブログを作成 - はてなブログ

ここから始められてしまうわけです。

大人になると、なかなか自分の意見を誰かにぶちまける機会も減ってくるので、ブログにそれをまとめておくのは有益だと思います。また、その難しさを知ることも、人生にとって有意義でしょう。

 

そうではなくて、ただ自分の養分になるわけではなく、何でもいいからひとつ、有益なものを残そうと思うんだったら、それなりの準備と、訓練と、そうした節度みたいなものが求められてくるのではないでしょうか。

そうはいっても、なかなか難しいと思うので、僕は粛々と記事や放送を作って、ウェブ上にアップしていくっていうことを続けたいと思います。

 

私も、粛々と記事を作ってウェブ上にアップしていくと再確認した次第です。

 

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