orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

人々の思考の根底にある共通の話題

 

このブログは、私がタイミングのいい時しか書かないので、毎日の投稿を読みたい方はnoteの方へどうぞ(宣伝)。

で、Xもやっているのだが、こちらは通勤の途中やら、すごく暇なときに投稿することが多い。ただ、投稿したいと思っても、投稿することもないときがある。かと言えば、どんどん投稿したくなるときもある。

この違いはどこにあるかというと、タイムラインに流れる話題が私の興味をそそるかどうかという変数にある。すごく興味のあることがどんどん流れてくるときは、一個一個に反応したくなってしまう。一方で、全く反応できない時もある。自分自身から投稿がにじみ出るというよりは、人々の興味本位が私の興味と一致した時がポイントとなる。

下手に、私の興味のあることをどんどん投稿したとしても、世間の話題がそれとズレていると、ちらほらしか反応がない。同じ内容であっても、話題と一致しているとどんどん伸びることがある。同じことを話しているのに。

これは、何らかの共通の話題が人々の間で根底にあり、その内容を言語化したり問題提起できたりすると、反応がけたたましくある、というロジックが成立する。

その話題がどこから来てどう去って行くのかわからない。けれど、存在はしていることは確か。流行、という言葉でカバーしきれるかわからないが、山を作って収束する。同じ話題をずーーーっと投稿していると、きっとミュートされてしまうんだろう。同じことしか言わないアカウントは飽きるよね。

したがって、話題とズレたことしか思いつかない時は、そんなに投稿しない。Xとはそういうお付き合いである。

一方で、「話題もなにも関係なく、感情的なエネルギーを強くもった主張」みたいなものが湧き出ることがあって、話題と関係なくそれを投稿すると、人々の興味を惹きつけられることがある。自分の考え方が人々の話題をリードする、ということは中々狙ってできることじゃない。ただ、何度かそういうことがあって共通しているのは、自分の中でものすごい「言いたい」「伝えたい」と思う何かが強い時である。その強い思いが、人々に共鳴するとすごく人と人の間でリンクしていって、共通の話題を作ってしまうことが過去あった。

だから、「いつもバズっていたい」「人々の話題の中心にいたい」なんて思った途端に、SNSは辛くなるのだと思う。人々の話題に興味もないし、自分の中に強い主張のある意見もない。そういうときは、単にSNSを休んでおけばいいのである。ずっとずっと人々の目線を惹きつけられるネタがあればいいけど、そんなことはあり得ない。いつもいつでも注目されていたい、気持ちはわかるが無理があり過ぎる。

私としても、人々の話題にはあまり関せず、自分中心で発信していきたい。たまたま人々の話題とリンクしたら、それはそれで反応を楽しむのみ、だ。