orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

「教える人」を優遇する文化がなぜ作れないか

 

こういう職場で働いたことがある。

 

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人を増やしても、仕事がまた増えて、11人で11人のキャパを超えた仕事を、残業することで対応するようになるのです。この成長循環は、すべての企業に共通します。

こうした事態に対して、何も対策をせずに残業を減らしたら大変なことになります。

 

ジョインしたその週に「終電の時間把握しておいた方がいいよ」と言われギョッとしたものである。

そこにいる人々は完全にマヒしていた。仕事は21:00ごろに終わるのが当たり前だと思っていたし、終わらなければ終電まで粘るという文化だった。

だからこそ私が呼ばれたのだろうけど、明らかにおかしい。朝は8:30から仕事なのに皆どうかしている。

入って1か月くらいは、特に改善を申し入れることなく耽々と巻き込まれていた。同僚の仕事内容を確認するも、すごく不器用な手順を見せつけられた。

 

(中略)

日本の多くの企業では、成果を上げるやり方をほかの社員に教えなくなってしまった残念な状況が、バブル崩壊から30年続いています。

たとえば「成果の大きさで賞与を分配する」と発表してしまったら、社員同士の競争がより激化し、高い成果を上げるやり方を、誰にも教えなくなってしまいます。

それを「教える社員を評価する」やり方に変えていくのです。ほかの社員に生産性の高いやり方を教えた社員を組織の中で最も評価することを、たんなる口約束ではなく全社員がわかるように可視化し、仕組み化する必要があります。

 

私が実際にやったことも、現場にはびこる無駄な繰り返し作業を発見し、いろんな手段を使って自動化していくことだった。単に自動化しても誰も乗ってきてくれないので、とにかく仕事を請けて、それを自動化し手際よく終わらせることに終始した。そうすると、周りの人々も興味を持ってくれるので、内容を伝播したら、それがデファクトスタンダードになっていった。

これを繰り返していくと、無駄だった現場の作業がどんどん消えていく。生産性向上に同僚が興味を持ち出し、そもそもこれって必要?みたいな作業が、吟味の結果消えていく。

結局、現場はどんどん正常化していき、残業がほとんど発生しない現場になった。

めでたしめでたし。

ではない。

この結果、人員は過剰な状態とマネジメントからはみなされるようになった。いつも長時間残業が収まらない現場という状況ではなくなり、その際に投入された人員の稼働が余りだした。

そこで、人員が減らされたのだが、その際に私も現場を出されることになった。生産性を向上させた人物ごとぶった切る結果となったので、とても印象に残っている。

「教える社員を評価する」はできると思う。評価すればいい。ただ、教えてしまった後。全体に布教が完了してしまったら、その教える社員は、名誉だけで食べて行けるのだろうか。結局は、教え損になってしまうのではないか。

最近のコンサルブームに思うのが、この話だ。結局「いいやり方だけ教えてもらって、一時金で済ませたい」という話なのだと思う。有能な社員を抱え込むことの効果は、入って初期の段階は絶大だ。しかし、成し遂げてしまった後は、そのやり方を踏襲するだけなので、そこから何倍の生産性を出すようにはならない。であれば、コンサルティングしてもらうだけの方が(一時的な持ち出しはあっても)経済的、と考えるのだろう。

変えていくのです・・はいいが、変えたとして。非生産的な現場を正常化するということだけで食べて行くのは、長期的にはなかなか難しい。だから、教育する、教える、ということだけでなく、新しいことにどんどん挑戦し、また違う形で現場にイノベーションをもたらすことができるようにならなければならない、と思う。教える人の心構えとして。