orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

年単位の流行が存在しないほど、消費サイクルが速くなった世の中

 

よく、流行語大賞やらヒット商品番付やら、年末になると発表されますよね。紅白歌合戦やらレコード大賞やら、M-1やら、1年を占う・・みたいな話。

これって最近、成り立たなくなっているような気がするんです。物事の流行と廃れのサイクルが、加速し過ぎているんじゃないか、と。今流行していることといえば、ChatGPT。これって年末、どうなってるんでしょうか。そもそも、この前まではStable Diffusionでお絵描きAIが席巻してましたけど。

ネットの話題だって、いろいろ大騒ぎになる問題はあるのですが、何とも解決されないまま人々が忘れて話が次に行く現象が加速している気がします。

ブログを1日2回投稿という、割とストイックで厳しめなことを続けているとわかります。すっごく当たってPVが伸びたとしても長くて3日です。3日経ったら、みんなそんな話無かったかのようになります。

社会が消費をするのが速い、なんてよく言われますがこれは違っていて、消化不全のまま飲み込んでなかったことにする、という印象が強いです。多分にそんな短い時間で消費できる話じゃないんですよ本来は。でも例えば、ChatGPTがこれ以上の品質を上げられないまま、中途半端に存在し続けるとしたら人々は「つまんね」って言って、単なる流行ものとして忘れ去られるでしょう。年末まで行かないのって厳しい時代ですよね。まだ今年話題になったことなのに。

そうなると、流行を追い続けるという態度というのは、どれもこれも未消化で、次に次にと駒を進めてしまうので、振り返ったら何も身に付いてないというオチが付きます。

一方で、何かにこだわり研究し続ける人は、今度は逆に世の中のトレンドの変化が速すぎて、時代遅れ扱いされてしまうのかもしれません。「続ける」ことが難しい時代でもあります。

だから、そもそも、流行を追うことそのものが無意味な可能性があります。これ、と思ったら食いついて留まることも大事なのかもしれません。移り気な流行より、自分の道を作っていく態度じゃないと、おそらく、それぞれの流行の持つ意味を見落とし、ふらふらするだけです。

昨今、20世紀の楽曲を聴くのが流行になっていますが、速すぎる流行の変化に対して、潜在的に人々が反抗しているのかもしれません。昔の曲はいつ聴いても昔のままであり、そしてそれでも輝いているもの。普遍的な価値があるから安心するのです。

青空を見上げてさわやかだと思ったり、森と木漏れ日を見て穏やかな気持ちになったり、地域に伝わる名物料理を食べて感動したり。そういった、流行と切り離された、普遍的な価値のようなものを人々が求めだしているような気がしてなりません。

デジタルによって、消化不良で移り変わる話題はもう置いておいて、いつまでも価値を持ち続ける普遍的な何かを人々が追い求めるとき、もはや流行自体が無意味と定義される時代が来るのでしょうか。何か、価値があると信じたものに執着し、その専門であり続けた人が、最後に大きな評価を受ける状況が起こり得ると思われます。