orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

記録が残る時代を生きるということ

 

何でもかんでもデジタルだと言う時流はいいのだけど、人々は本当に覚悟ができているのだろうか。今、世の中には様々な不正や悪事がさらされ、そうだったんや、と人々が驚き右往左往しているんだけど、別にそれらはデジタル化とは関係がない。デジタル化されたからこそ隠し通せなくなってしまったというだけで、人間社会の本質としては大昔から存在していた。

ただ、アナログの世界では、人々が口裏を合わせればなかったことにできる。このなかったことになる事象・状況の量が半端なかったし、それらの上滑りで社会が形成されていたに過ぎない。裏の裏はこうなってるんだけど、表はこうだよね、ということの連続で構築されていた建物が長らく古城としてそびえたていたのだけど、それはデジタル化の世の中では無力であった。たくさんのエビデンスが本質を浮かび上がらせ、そして誰も、ああこれからの世は不正・悪事はこれまでどおりではいかないと痛感しているであろう。

逆を着くならば、これまでの既得権益で、デジタル化を甘く見ている人を見つけ出し暴けば、お金になるということだ。その権益を狙っている人が事細かに、デジタル情報を監査してしまえば事実がわかる。その事実は「そう言われたのでそうやってました」と言うことなのだが、誰がそう言ってたの?ときくと「さあ?」ととぼける。このおとぼけが通用しないのがデジタル社会である。

この先の未来を考えるとして、ますますデータが蓄積される。街を歩いたら自分がどこにいて何をして何を話していたかまでの情報が集積していく。いや、知らんけど・・そこまでおぼえてへんわ、と言ったって、自分の証言すら超越する客観データがますます緻密に蓄積されていくのは確定的なのである。

もう、爪くらいのチップに何TBも保管出来る時代で、かつAIも絡んできたのでそのデータを読んで分析することも自動化できる目処が立ってきた。

それ、あかん、と判断するのは人ではなくAIになる可能性は十分に現実的になってきた。「笑ってはいけない」ではないが、何か怪しいことをすると、「デデー、○○、アウト」となる社会はすぐそこまで来ている。

これが、タイキックぐらいだったらいいけど、問題は、恣意的にアウトにできる権力も生んでしまうのではないか、ということ。だって、違反したという事実に対してアクションを起こすかどうかは権力次第であり、権力にとって都合が悪いと思ったら隠蔽することもできるわけだからね。気に入らないから、データを監査して、シナリオを作って人生を潰しにいくことだって、これもまた目に見える。

皆嬉しがってデジタル化に突き進んでいるけど、結構、めんどくさいことになると私は思っている。むしろ、何のデジタルもない山中でゆっくりしたいと思うようになるのかもしれないけど、衛星通信で地球にはどこにも逃げ場がないようになることもありえるかな。スマートフォンというわかりやすい端末だって今の形をずっとしているかも微妙で、珍妙なデバイスが登場する可能性もある。

私としては、できるだけ全てをローカルで完了したいと思っている。他人にデータを握られるのが怖いから。だって人間、自分の行動・考えを他人に把握されたら嫌だし怖いでしょう。でも、だんだん人々が鈍感になっているような気がしてならない。今後、茨の道だわな、この、不自然にデータが溜め込めるようになっていく社会は・・。