orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

責任と収入と40代の微妙な関係

 

社会は、責任を分割して成り立っている。世の中には恐ろしいほど重い責任もある。日本には1億2000万人の人間がいるので、それを分け合っている。責任が重いほどお金が得られるという仕組みだが、その仕組みが完全に公平に実施されているかはわからない。捻じ曲げて、責任もあまりないのにお金だけは入ってくるということもある。雑なので仕組みの隙間を狙ってできるだけ責任を負わずお金を頂こうとする試みだってあるだろう。まあ、なかなかそういうものは落ちていないのだが。

人々が都市圏に集まるのは、都市圏にたくさんの責任が吸い込まれているからだ。デジタル化で空間の制限が無くなり都市化は収まるのかと思ったがそうではなかった。データセンターがその象徴だ。日本のデータセンターの大半が都市圏にある。デジタル化された現代では責任すらデジタル化されていて、その置き場所が都市圏なのだから、責任を追い求めたら都会に来るしかないのである。田舎からでもアクセスはできるが、責任の蚊帳の外である。

私もその一人で、片田舎から責任を追い求めて上京した。働いて始めのうちは、ちっちゃなちっちゃな責任しか分担させてもらえなかったし、お給料も相応のものだ。社会人としての経験を重ね実績を積み重ね、責任を任せてもらえるようになって収入も上がった。ここまでは公式通りだ。

現時点で思うことは、この、責任というのは青天井であること。目指せば目指すほどもっと高い責任がある。どこまで目指すかについて「限りなく上」と断言するのはかっこいいけれど、この限りなく上にある責任の過酷さが、私自身ある程度上に来たからこそ実感できる概念でもある。

人生は有限であるから、躊躇していたら時間切れになる。目指すか?目指さないか?なんて迷っている人は結局目指さない。リスクを取る覚悟が必要だからだ。その覚悟を持つのが正しいのではない。持たないことも立派な選択肢だ。過酷な責任なのだから、耐えられない人もたくさんいる。実力以上の責任を背負っても実力をその分拡張すると覚悟するのなら、背負えばいい。冷静にムリだと思うのなら、決して背負うべきではない。

40代になると、「もっと上を目指せばいいのに・・」なんて言葉を聴くようになるかもしれない。でも、もうそろそろ自分の実力や限界を把握し、得意に特化して動くべき時だ。どんな責任でも背負います、と主人公的なキャラクターで前に突き進むのは人生自由なので構わないが、ゲームと違って命は一つしかない。あふるる責任を全部背負うのは、さて、無謀か勇敢か、自分にしかわからない。

さて私は、もうこれから責任を欲しいとは思わない。今の仕事の責任が10だとして、20はいらない。50とか100があるのも知っているけどそれも不要(多分収入は責任増加分ほど増えないのもわかっている)。ただ、10を維持しつつ、全く別で1でも2でも横でふやしたいなと言う欲はある。それが副業なのかなんだかわからないけど、ほんの少し横で別の軽~い責任を増やして、かついつでも投げ出せるようにしておきたい。

上を見たらその責任の重さは半端ない。そんな思いはしたくない。適性で適切であるから、人生は楽しく生きられる。所有欲より楽しくありたいと言う欲の方が大きい。今後もそうしていくつもりだ。