orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

人間関係は、薄く広~くが大事

 

友達百人できるかな、という言葉は昭和の石碑のようになっているが、これがまだ呪いになっている人も結構多いのではなかろうか。むしろ若い世代にもいるのかもしれない。友達がいるとかいないとかで、人間の価値が決まると考えるメソッドはある。

くだらない、以上。そう言い切って話を終わらせてもいいが、これについて私の考えをはっきりしておきたい。

まず大きな原則として、自分と他人、分かり合うのは不可能だと思っている。例えばこのブログを5年半分全部読んだとしても、私と言う人間を理解するのは無理だ。ここに書いているのは一部に過ぎない。

それでも、私を理解してくれようとしてくれる人が現れるのは、とてもうれしい。それは宝物だと思う。ありがとうと思う。

だからと言って、その方のことを私が理解できるとは思えない。元から諦めている。他人とは、理解する類のものではない。

他人を、他人と認識する。そういう方がいると思い記憶する。あの件はどうなりました、と話をする。そうなったんですか、すごいですね、と返事をする。私はそれだけで他人の関係なんて十分だと思っている。

どれだけの関係を築いたら友達なんですか、という質問がある。ここまでは、知り合い。ここからは、友達。そして親友、という風にランクが上がっていくシステムだ。

この考え方自体がバカげていると思う。元から人間の関係性にランクなんてない。相手を親友だと思っていたら相手からは単なる友達と思われていた、とか、自分よりあの人の方を大事にしていたとか、わけのわからない評価尺度が登場するのがこの辺だ。

関係の深さ、など、ないと考えるのが良い。関係にラベルをつけない。自分が相手を知り、相手が自分を知る。それだけで十分なのである。相手が自分を知っていて、その相手を自分が知っているだけで、1つの価値だ。

そして、その数を増やしていく。

それぞれに強い関係など結ぶ必要はない。評価もしない。その日その日で、一本一本は薄いかもしれない関係を柔軟に渡り歩いて行く。そうすると、自分では気が付けないことがいろいろわかる。自分の視野が広がり、世の中の解像度が広がる。

どうせ、人と人との関係なんて、状況により濃くなったり薄くなったりするのである。誰かに深く狭く依存すると、その誰かが離れて行ったときに辛くなる。

それより多くの線を持っていたら、誰かに依存しなくても済むじゃないか。

そもそも、依存するほど、人と人とは分かり合い得るものなのか。深い関係を持つからこそ、人と人との間に憎しみや戦いが起こってしまうのではないのか。

もし、友達百人できるかな、が呪いになっているのであれば、友達なんてゼロで良いのである。それより、自分のことを知っている人、そしてその人を自分が知ること。この関係性を1つでも増やしていこう。それぞれは薄くてもいい。そして定期的に、メンテナンスするのである。月に1度話をするだけでもいい。それだけで保たれるのが人間関係だ。それが複数あれば、毎日のように誰かと話はしていることになる。そうやって社会性を保つだけで、人生、十分のように思う。もし不十分と感じるなら、何かのコミュニティーに、薄く参加して見るといい。それが負担に感じたらそっと離れればいい。無尽蔵に関係を増やす必要もない。自分が満足すればそれでいい。簡単な人間関係性を、自分の意志で主体的にコントロールするのが、秘訣だ。

人間関係、薄く広~く、が大事なのである。