orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

DXの結果、得られたことがむなしい

 

人間が生きていく中で必要な購買行動や、手続きごとが、DXによって人手を介さずにできるようになっていることはもう実感した。スマホがあまりにも便利になったので、スマホで買いたいものは全部買えるし、買う際に必要なカスタマイズ項目も全部手入力で企業に伝えられる。そして宅配ボックスに商品が詰め込まれるまで、誰とも会っていないのに購入が完結する。

そのようなことが、全方位で全企業が進めるので、今後ほとんど接客というものは要らなくなるのではないか。レストランだって、タッチパネルで注文したらロボットが持ってくる時代になりそうだから。

便利ではなるのだけど、どんどん人と人との直接会話は減っていく。そして、人が減っていく。日本は人が減る。人と人との接点を減らして、そして人も減らして、いったい何をこの国はやっているんだろうかとむなしくなることがある。そこで企業は人件費を減らして利潤を増やし、その結果企業は生き残るかもしれないが、人は減っていく。

今後、DXの逆と言うか、有人サービス自体が価値を持ち、値段は高いけど買う、みたいな文化が生まれるような予感もある。あなたから買いたい、みたいな少し昭和な話をうまくパッケージングするとビジネスとして当たるのかもしれない。

それすらAIが今度はまかないそうではあるが、むしろそこは、有人を貫く。コストはちゃんと値段に載せて、でも絶対に人間が対応すると言う世界。しかし、お客様とのインターフェースは徹底有人で、ただしそのスタッフたちは裏でかなりデジタル化された社内システムを使いこなし生産性高く対応する。

そう、一番大事な顧客と企業との対人関係を、全部デジタルでシャットアウトした結果、なんだか味気ないサービスばかりになってもんだと言う結論に至る。徹底的に人間を排除した結果、消費者としての人間すら否定されそうに思える。そんな中、味気ないサービスの真裏。味気あるサービスの登場。

つまり、何か今後新規ビジネスを企てるとして、有人を組み合わせたデジタルサービスのような形態が有望な気はしている。有人で対応します、だからお値段は高いですが、真心こめてサービスいたします!みたいな世界である。そしてその裏側はデジタルでコスト削減する。

まあ何しろ、人間がもっと豊かになるために始まったDXだったのに、かえって貧しくなった気もしなくもない。購買プロセスの中に合った、何らかの人間と人間の交流のようなものがすっかり見えなくなり、何だこりゃ、と思っている。

それならそれで、生み出せばいいのである。生み出して人々が価値があると思えば、お金になる。きっとDXに突き進みすぎてしまった企業は、コスト削減の結果自分たちの価値まで削減してしまい、何のために企業をやっているかもわからなくなるだろう。そこまでは見えた。

人間は価値判断をお金に求め、需要の形で市場を生み出すので、先回りしたほうがいい。DXなんてもう誰にでもできるのだから、できないことを生み出すべき時が来ているんだろうと思う。この世界の味気無さを見る限りは。