orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

技術記事の中身がどんどん古くなっている

 

わからないことがあったら、ネットでググる、なんて言うけれど、この検索した結果がえらく古いことがある。2010年代の話は普通に出てくるのだけど、バージョンがかなり古かったりして今使えるかわからない。じゃあ使った情報が今のバージョンであるかというとない。そんなことが最近増えている気がしている。

昔にぶち当たった問題を社会に、ブログや技術SNSで共有したとして、その情報をあてにしてたくさんの人がアクセスし問題が解決されたと思う。私もその一人だ。私の技術などネット情報の塊であり、全部オンラインマニュアルで知ろうと思っても無理だ。

そこで知りえた技術をじゃあ現代化して私がまたアウトプットして社会と共有するかと言えば、しない。たくさんの人がインターネットで情報共有することを最近しないのではないか。過去は情報共有してたくさんのアクセスがあるとアフィリエイトでお金が入り、みたいな循環があったと思うが、誰も最近信じていないように思う。むしろ情報をフリーライド、搾取されて終わり、みたいな不平感の方が強い、気がする。

あのChat GPTですらネットからパクった情報を元にすることも多いだろうから、元情報、一次情報が無ければ手が出ないはずだ。Chat GPTが自分で構築してその結果をアウトプットするならいいけどそんなことはありえないだろう。

我々世代(私は40代後半だが)は、どうも、インターネットに人が情報を掲載することが流行した状況に育てられたところがある。最近の技術情報は薄い。核心を公開することに躊躇している感があるし、何の得になるのと皆が疑心暗鬼だ。その上に、オープンソースがどんどんうまく行かなくなって、色んなプロダクトが有償化されている。従って情報も有償になり、このままだとインターネットで手に入る情報を拾って技術的な峠宇をすること自体ができなくなると思う。少なくとも方向性としてはそうなっている。

まだ、痕跡のようなものはあるし、バージョンが古いと言ったって今のバージョンとの差異もまだ読み解けるぐらいなので目に見えて困ってはいない。ただ、例えば2030年ごろになると、もはや古典を読みほどいて答えを得るようなことが待っているんじゃないか。その時、ちゃんと若手は育つのだろうか。

インターネットのない時代、1990年代を思い返してみると、そう言えばたくさん本を買っていた。本にしか情報がなかった。本は有償なので、結局は知の流通がビジネスになっていた。

いつしか、情報は何でも無料、みたいな空気が流れ出し、有用な情報がインターネットでたくさん無料で流通した。その頃からは本を買わなくても技術的なことにあまり困らなくなった。そう言えば、私たちの世代は知のダンピングをしてきたのだ。

明らかにそれは損だよね、簡単に有用な情報を廉価に外に出したら、搾取だよね。それはもう社会的なコンセンサスとなっていて、この状況を踏まえるときっと、再度戻ると思う。本で電子書籍でも、情報の入手にお金がかかるようになる。お金がある人が情報を得るようになるから、つまるところ例えば私のような、お金も何も無く上京して、知識を付けて挑戦するみたいなことがどんどんできにくくなるように思う。

まだ極端にはその影響は感じられないけど、古い文書がますます古くなると、知の有償化がますます際立っていくように思う。