よくよく考えると、20世紀においてコンピュータシステムが関わる領域など一部も一部だったわけで、机の上にパソコンはなく、紙とペンと電話機くらいしかなかった。そこに現れたデジタルによって、人間は自由になったのだろうか。今の時代ワープロと表計算くらいはできないと、みたいなムーブメントがあって大半の人が、ワードとエクセルはできるようになった。そこから少し遅れて、パワーポイントがやってきてプレゼンテーションのやり方を学んだ。
当初は自分のパソコンにデータがあり、フロッピーディスクに保存して他人に渡すようなことをしていたがフロッピーだらけになったので、社内LANというのがいいよと、ファイルサーバーが流行した。ただ、次はアクセス権限が煩雑になったので、ドメインの考え方が重要になり、今ではActive Directoryが社会の中心にある。
さて、本当に、皆便利になったのか。みんなワープロや表計算、プレゼンテーションはできるのに、それでは足りないようだ。コンピューターシステムのことは、構築ベンダーに丸投げしておけばいいでしょという空気だったのに、今度は構築ベンダーが構築に失敗する可能性まで考えなければいけなくなった。
すべての事業活動がデジタル化に向かう中、「苦手」や「丸投げ」ではもう済まされない。2月27日発売の『週刊東洋経済』では、「文系管理職のための失敗しないDX」を特集。システムやWeb、アプリの開発において管理職が知っておくべき「地雷ポイント」や、知識ゼロから着手できる「ノーコード」の活用法などを解説する。この記事は本特集内にも収録しています。
失敗のもとは、見積の難しさにある。もうこれは間違いない。完成するためには、人の作業時間が何時間必要なのか。何を作るべきなのか。できたものは現場が満足できるのか。目算が狂い、ゴミを作ってしまい、発注元が悪いのかベンダーが悪いのか、という係争はいつも起こっている。
何億円も捨ててしまうくらいなら、始めからやらないほうがいい。
社会がDXの空気に酔って、なんでもかんでもデジタル化だと言っている。それは、人間が手間だったことを自動化するという表現に凝縮される。これまではプログラミングをしないとできなかったことが、最近はプログラミング技術不要で、ノーコードソフトウェアによって実現できることも、誤解に輪をかけている。
結局自動化したら、会社は何をしたいんだろうか。その結果生み出された数々のアプリケーションによって、ExcelやWordでは得られなかった何かが得られるのだろうか。
そうやって、いろんな企業が何億円も無駄な稼働にお金を払っているということになる。
そもそもシステム開発をせず、既存のパッケージを持ってきて、仕事の方法を変えて現場を動かせ。これがかなり昔から答えだと言われてきたが、なかなか日本の企業はそういう選択肢を取らないらしい。それより、現場がノーコードで現場的なアプリケーションを乱造して、それをデジタル化と呼んでいる気がとてもする。
実は、ExcelやWordレベルで、仕事は十分まわってるんじゃないですか、と。
いや自動化することで人員削減できるといっても、日本の企業は人員削減しにくい法制度になってますよね、と。
生産性向上やデジタルに強い現場を作るためには、むしろ現場の仕事の仕方を捨てて、既存のパッケージに合わせて人間が仕事の仕方を変えればいいだけ・・。
とはならないから、システムをいくら入れても現場の仕事は変わらず、そのシステム構築のハードルも、長い企業経営の結果、複雑極まりないというね。
であれば、結構答えは簡単な気がする。ExcelとWordだけで仕事を続けるのが、一番お金がかからずリスクが少なく、そして継続性がある、と思う。