orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

ストレスをかけないことが最優先になる社会は、本気になりづらい

 

私は文系未経験からのIT業界新卒組。SES他社常駐からのスタートながらも、その他社、がとても素晴らしい環境だったと今になって思う。なんだかんだで10年以上は居させてもらった。そこでの経験が糧となって、今生きられている。当時は決して楽じゃなかったし下積み時代も長かったけど、あれが無ければ今はない。

今の教育って「わからなかったらすぐに何でも聴いていいよ。初めはわからないのはあたりまえだよね。」みたいな優しい世界だよね。調べてから聴けやら、何度も言わせるなやら言ったらパワハラだもんね。また、若手の心も折れやすくて「私はあなたのことを思って熱心に言ってるんだ」は決して通じない。若手も最近は貴重な人材で取り替えは効かないから、柔らかい雰囲気が現場では流れている。

その、柔らかい雰囲気を真に受けて、分からなかったら相談しよう。先輩は詳しい。怒られないから心地いい。たくさんの人がそんな若手時代の過ごし方をしていないか、不安になることがある。

それは、先輩になった私たちが、厳しい指導をしてはいけないことになってしまったものだから感じる、もどかしさというかくやしさなんだけれど。

私は、私たちは、かなり厳しめの先輩方(今の60代や70代以上)に結構ねちっこく叩かれて育てられたけど、あれはあれで必死に食いついていくのであれば、楽しく成長できたよ。腹立って、絶対あの人を技術で追い抜いてやる、っていう不純な動機でかなり勉強しちゃったからね。資格どうこう技術どうこうではなく、私怨みたいなものだった。負けず嫌いだったし、この世界の勝敗を分けるのは技術力だとわかったから、効率的に勝ってやろうと一杯技術書を通勤時間に読んだものだ。今考えてみれば、マスタリングTCP/IP入門編をわざわざ電車で開いて読んでる人なんかいないから、よく勉強してた。あれは、勉強が好きだったんじゃない。誰かを技術でマウントしたいって思ったからだ。負けず嫌いだったんだね。人に相談するんなら、分からないから相談するのではなく、自分で切り分けして高度なレベルまで把握してから、質問に行きたい。相談した相手に「そこまで調べたならわからない、エスカレーションして」と言わせたくて躍起になって裏で調べたものだ。

優しくなった世界は、きっとストレスを与えないことの優先度が高い。だからストレス起点で「くやしい、勉強して見返してやる!」みたいなことが全然起きない。資格を取ろう、みたいなポジティブな目標が散りばめられる世界で、どうなんだろう。かなり、やる気を出すトリガーのようなものが不足しているんじゃないか、と思う。

それが、若手が「何か階層社会のようになっていて、一度下に組み込まれると上に上がれない」と言う悟りを開いてしまうのにつながっている気がする。そんなこともないんだけどね。競争が見えていないだけ、よ。

昔は、苛烈な競争社会だったけれど、競争を勝ち抜くと上に行ける雰囲気はあるにはあった。今は、競争がないように見せかけている。ストレスがかからないようにすることの優先度を上げるあまり、負けたくない!みたいな動機が生まれにくいのではないか。一見、勝負がないのだもの。

ところがね、管理職連中は良く社員を観察していて、あいつはできるだの、彼は今一つストレスの弱いだの、勝手に評価して優劣を決めている。水面下では立派に競争は成立していて、知らない間に点数を付けられて数年後、十年後のキャリアまで決まっていく仕組みである。

そういう意味では、先輩たちがけしかけてくれない分、今の若手は大変だなと思う次第。私みたいな打たれて強くなったタイプは、どうしてやればいいかわかりにくいよ。こうやって、裏側を語るぐらいのことしかできない。