orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

孤独への強さはスキルとなる

 

私の性格的に、人と群れるのが大変苦手だった。学校生活におけるグループみたいなものには徹底して属さなかった。かと言って社会に属したいとは思っていて、高校、大学、そして社会人と進むことはなんとかできた。家庭もあるし転職も1度だけだし、案外保守的に生きている。

社会には属するけど集団には属しない。そんな変な性分だが、会社員生活においてはアドバンテージとして働くこともある。リーダーやマネージャーと言った役割においては、孤独への強さが武器になる。誰とも属せず公平であることが自然にできるからだ。誰かと仲が良いから加点する、みたいなことをしない。誰とも公平に仲良くするから・・いや、誰とも仲が良くないからである。孤独であることをデフォルトとしているので、仮に誰かに良くされたら儲けもの、ぐらいの価値観で日々生きている。だからこそ、上司に置いても自然だというのは、災い転じて福となす、ぐらいの話と考えている。

ただ、良くも悪くも社会の中でタレントとして目立ってしまう。グループに属していないために味方もいないので、「勢力をもったグループの人たちの、リーダー的存在」の人から「あなた、目立ってるよ、邪魔だよ、黙ってなよ」みたいな圧力を受けることがある、いや、受けた。何度も。うん、今思い返してみればあれはそうだったんだな、と理解する。

言っちゃなんだけど、そうやって私にけしかけて来た人たちがどうなっているかというと、私の目の前にはもういない。ほとんどが退職していった。残っていてももう傍流となっている。目立つから排除しようなんて考える人たちが仕事ができるわけがない。そういった圧力に対して、戦うでもなく従うわけでもなく、毎回黙って無視するのであるが、おそらくそれでいい。そもそも孤独がデフォルトなので、仲間外れも何もない。もとから仲間でもないのだから。嫌なら近づいてくるな。去れ。そんなやり方を貫いていくと、たいていは、岸の向こうで彼らは自滅している。どうやって滅びるのかは知らないけれど、攻撃性を持っている人は何らかの過信があって、墓穴を掘るのだろう。

そうやって孤独を決め込んでいたのだが、とにかく前に書いた通り、数字だけは守るようにした。どんな状態に自分が会ったって業務上の数字は達成する。その上で周りにいてくれる人々には誠意を尽くす。そうして行ったら、味方が登場し助けてくれるようになった。それは私がどうこうというより、私が作った数字への支持者が増えたということになると思う。数字を作ることそのものが実績となり信頼となる。変な同調圧力に流されるよりよっぽど、信頼に足る。仲間を作る意識より先に立つのは数字であると私は思う。数字が無ければどんなに仲が良くても一緒にいられないのがビジネスであるから。

社会を観察していても結構勢力を持ったと勘違いした人たちが、目立っている人を従わせようと躍起のように思うが、まあそういったことを試みる人たちは中期的には自滅していくから放っておけばいい。最後に立っているのは孤独に強い人で、まっすぐ目の前を見て自分の思うがまま進んでいけば、いつの間にかわき役たちは消え失せているものである(経験談)。